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第一経理ニュース

我が社の原点

誰でも行ける留学を目指して ―より多くの人に、より多くの感動を―

 






   South Pacific Free Bird 株式会社
   代表取締役  谷口 浩 氏

 南太平洋に浮かぶフィジー諸島共和国に政府認可の語学学校を作ったのが、2004年3月。社員数30名、設立8年目の若い会社。
 すでに、フィジーへ1万人の留学生を送っているとのこと。社長もスタッフもBulaシャツ(アロハシャツの原型:フィジー版)を着て仕事をしています。ワクワクしながら、南国ムード満点の市ヶ谷のオフィスを訪ねました。



聞き手 第一経理 平石 共子

 ● なんて笑顔になれるんだろう


―「フィジー留学」の企画、留学支援を行なっているということですが、このような事業を始めるきっかけを教えてください。


谷口氏 : もともと、フィジーとの出会いは不純な動機からです。2002年に初めてフィジーに行ったきっかけが車の国際運転免許の取得です。ある事情から短期間で国際免許を取る必要があったんです。世界でどこに行ったら一番早く取れるか調べるため各国駐日大使館に電話をかけまくって60番目くらいに、フィジーに行けば1週間でとれるという返事だったので、それですぐに飛んでいったというわけです。その時、僕は中国とのコンサルタント協同組合の理事長をしていました。

 フィジーは、フランス語の国かと思っていたら英語圏だった。物価も安いし、人柄もよくて、帰りの飛行機の中で、顔の筋肉がいつもと違うことに気づいたんです。中国人を相手に仕事をしていると、だまされないようにといつも緊張していましたし、いつも怒って人殺しのような顔をしていたような気がします。ところが、フィジーへいったら笑顔になれた。いろんな人にご飯も食べさせてもらった。併せて、その半年前に、白血病と誤診されて余命何ヶ月といわれたことも僕をフィジーの虜にしました。14日間検査入院後、誤診と診断を受けましたが、自分の得意な、できることをして生活しているよりもやりたいことを生活の糧にしたいと思いだしました。まさにフィジーにそれがあったのです。フィジーの笑顔に救われたというか、癒されました。すぐに、フィジーに住もうと思いました。さっそく、協同組合の理事長を退任して、いざという時のために現金をきっちり株式会社の経営権の獲得できる510万円だけ残して、会社を作ることにしました。最初、自動車免許取得のコンサル会社を考えたのですが、ふと、こんな志で会社を作っていいのだろうかと思いとどまり、語学学校をやることにしました。当時、フィジーは深刻な少子化で、学校が廃校舎となって余っていたんです。2004年3月2日に会社を作りました。

 

● 何でもやってやろう


 ―ものすごい展開ですが、谷口社長はこの事業を始める前はどのような仕事をされていたのですか。

  
谷口氏 : まず、学生時代に遡りますが、高校生のときに親と折り合いが悪くて、親のお金を頼らずに大学に行こうと考えたのです。そこで、フルスカラシップで、海外の政府からの奨学金を受けて、一番条件のよかった中国上海の大学に行くことにしました。ところが、当時の中国はとにかくクラスも宿舎も汚くて、ねずみとかゴキブリには参りました。毎日毎日帰ろうと思っていましたが、勉強はめちゃくちゃやりましたよ。最初は物理学を、途中で建築学に転部して。しかし、考えるところがあって自主退学し、お金がないので香港にいるアフリカの友達の家に居候して、大手の不動産会社に就職しました。語学については、英語は20歳くらいまでに独学で、中国語は大学で、フランス語はアフリカの友達との生活によって話せるようになりました。

 ところが、その後すぐにタイで建築の現場監督を探しているという話を聞き、会社を移りました。不動産の仕事をしていて実際の家の建て方を知らないことに疑問を持っていたので、すぐにバンコクに移りました。しかし、その社長がひどい人で、タイ人の従業員をイヌネコのように扱うので1ヶ月で辞めてしまいました。その後もタイに滞在していたのですが、アジア金融危機(タイバーツの切り下げ)を体験して、持っていたお金が四分の一になってしまい帰国することになりました。一旦は家業の建築会社に入ったのですが1年で家を飛び出して、たまたまバイクのガソリンが切れて辿り着いた金沢で中国とのコンサルタントを行う協同組合を設立して理事長をしました。この協同組合でも自分の体験・人脈をもとに何でもやりました。

 

● フィジー時間を乗りこえて


 ―事業を立ち上げる上での障害といいますか、壁のようなものはありましたか。


谷口氏 : 最初にホームページで事業を公開しました。何も準備は始まっていませんでしたが、だいたいその事業プラン通りに進んでいきました。申し込みもすぐに何人か入りました。

 まさに体当たりで、フィジー政府の大臣たちにアポなしで交渉をしていきました。よく会ってくれたと思いますよ。

 フィジーで雇用を創設することができること、失業している先生やホームステイをさせてもらう家庭、地域の飲食店などへの波及効果などを説明して、廃校になっている学校を紹介してもらうことに。もちろん時間はかかりましたがだんだん理解してもらって、語学学校として現地法人が認可を受けることができました。最初のころは最大で580人くらいの学生を受け入れていましたが、今は450人くらいで時期によって増減しています。

 何が困ったかというと現地の人は時間を守らないのが当たり前なんです。先生が来ないなんていうこともしばしばです。それにフィジーの人はお金のために働くという感覚ではないので、いかにモチベーションをあげるか苦心しました。とはいえ表彰やボーナスの制度を入れたりもして、今では時間を守るようになってきました。

 

● 帰ってくるとみんな変わるんです


 ―フィジー留学を経験した人たちの反応はどうですか。


谷口氏 :  留学のプランは、最低1週間から用意しています。今までに最年少は親子留学の3歳の赤ちゃんで、最高齢は87歳のおばあちゃんです。一番多いのは大学生が夏休みや春休みを利用して、あとは社会人1、2年生くらいの人ですね。会社を辞めて留学するケースが多いです。

 みんな語学の習得を目指して留学するんですが、帰ってくると自分の言いたいことを言えるようになったり、英語が話せるようになること以上に、変わって帰ってきます。

 アメリカやイギリスに留学した学生とは比べ物にならないくらい、うちの学生たちは強いですよ。留学費用も自分で貯めていく子が多いですからね。それに、フィジーの人たちはとてもフレンドリーに話しかけてくるので一人でいられない。フィジーは旧英国領だったので公用語は英語ですが、話し方はゆっくりなので聞き取りやすいです。フィジー語やヒンドゥ語などいろんな言語があるので、現地の人は英語と母語のバイリンガルなんですよ。

 仕事をやめて留学に行った人の中には、そのまま海外で就職していく人もいますし、日本で再就職して、再スタートを切る人が多いです。フィジーでの体験で自信をつけて就職活動をした結果は良好のようです。

 

―ホームページを見させていただくと、私も行ってみたくなってしまいました。いろいろなプログラムを用意されているんですね。


谷口氏 :  最低1週間から、あとは1週間ごとに増やすことができます。学生寮で4人部屋タイプか、学生寮で1人部屋あるいはホームステイを選べます。1年行っても学費・滞在費が約85万円ですから、頑張ればバイトの子でも行けますよ。

 そのほか親子留学の場合は、16歳以上は語学学校カリキュラム、6歳から15歳の子は、小学校プログラム、6歳以下は幼稚園カリキュラムを用意しています。留学に行く前には、来社してもらってカウンセリングを受けてもらうようにしています。

 中には留学を思い立って申し込んだ後で、迷ってしまう子もいます。そういう時は話を良く聴いて背中を押してあげることもあります。フィジー留学をする子達は、海外が初めてという人も少なくありません。やはり費用が安いのが魅力の一つですから。パスポートの取り方から出発まで疑問点を取り払ってあげるようにします。

 カウンセリングのスタッフは、アメリカやイギリス、オーストラリアなどの海外留学経験者で、必ず入社前にフィジー留学にも行っていますので、現地の映像を一緒に見たり、スタッフが留学中に作成した日記・写真などを見ることができます。

留学前の決意表明

 

● 社員には感じ取ってほしい


―御社で心がけていること、経営理念を教えてください。社員さんにいつも言っていることでかまいません。


谷口氏 :  経営理念はありません。毎日変わる可能性がありますから。社員の人たちにも特別何も言いません。でも、今話したようなことを年中聞いたり、見たりしていますから。その中で感じとってもらっているんじゃないでしょうか。それに、社員には入社前と2年毎にフィジーに行ってもらっています。



♥♥♥ スタッフの方お二人に直接話を聞くことができました。

 カウンセリングをしているとやはりフィジーに行っているので自信を持って話ができるといっていました。フィジーはまた行きたくなるところだという話しが印象的でした。もう何度も海外旅行を経験しているようでしたが、フィジーは単なる旅行ではないようです。人柄が違うと。とても癒されるんだそうです。

 

● 高校生留学の思わぬ収穫


 ―新たに、高校生の留学を始められたということですが、どのような仕組みになっているのですか。

 
谷口氏 : 学校や学生寮の建設を始めたらリーマンショックで、新たな安定した事業が必要になってきたんです。語学留学は経済情勢によって上下しますからね。前からアトピー性皮膚炎の子供や、離婚家庭で不登校になった子供たちが、フィジーに留学して治った・癒されたという報告があったんですよ。そこで、そんな子たちに向けた高校を始めようということになりました。

 ところが、フィジーの文科省の政務次官と喧嘩して語学学校自体が危うくなった。そこを外務省の大臣・大使が助けてくれて、経営難の学校を紹介されて理事長を引き受けて高校始めることができました。そもそも、その学校がなぜ赤字なのか突き止めたら、生徒が授業料を持ってこない、回収するためにそれ以上にお金をかけていました。生徒たちに何度も催促したら芋や野菜を持ってきたくらいです。それじゃ困るので、生徒600人分の授業料を無料にすることにしました。高校の教員の給与はフィジーの国が払っているんですが、教員給与以外のコストを抑えれば無料化してもやっていけると判断しました。その代わり日本人の生徒に親切にしてやってくれよ・友達になってくれよと頼みました。日本からの高校留学第1期生は15人です。当面は100人にすることが目標です。今ではみんなたくさん友達がいますよ!

 いろんな理由から高校に通えない子供たちを通わせることができる高校がフィジーに誕生したのです。英語が特別得意でなくても、半年もいれば子供たちは英語が話せるようになります。2年高校に通えば日本に帰っても帰国子女枠で有名大学に受験も可能ですよ。

 

―今後の展望をお聞かせください。

 
谷口氏 : 現在、フィジー側から5校も高校を紹介されているのですが、まずもう1校の高校を設立したいと考えています。フィジーでこれまで以上に、海外での活躍を考えている生徒・日本の高校をやめてしまった生徒たちに再び自信を取り戻すための教育に力を注いでいきたいと思っています。 

 

―今日は大変希望が湧いてくるお話をお聞かせいただきありがとうございました。

(文責 平石共子)

South Pacific Free Bird 株式会社
TEL:03−5227−1167
http://www.southpacificfreebird.co.jp/