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第一経理ニュース

我が社の原点

百年の歴史に裏付けされた社会福祉の仕事をこれからも

  

  

  

  

  

社会福祉法人 二葉保育園

理事長 遠藤 久江 氏

  

今年で発足111年という歴史のある二葉保育園。東京信濃町に本部・保育園があります。歴史の研究者でもある遠藤氏から、当時のお話を含めて伺うことができました。

 

聞き手 : 埼玉事務所 持田 晶子

二葉保育園さんは百年の歴史をお持ちです。

 

遠藤氏 : 創設は明治33(1900)年で、今年は111年目ということになります。
 創設者は野口幽香・森島峰です。
 当時、野口幽香先生は学習院(当時、華族女学校付属幼稚園)の先生でした。
 その通勤時、この地域(新宿区南元町)を通るわけです。今でこそ都心ですが、明治期は東京の三大スラムといわれたうちの一つでした。野口先生はこの路上で遊んでいる子どもたちの姿を見ながら、華族幼稚園の先生をしていらしたわけです。
 幼稚園というのはドイツが発祥の教育機関ですが、このような貧しい子どもたちのためにつくられたものでした。野口先生は、日々出会う子どもたちにこそ必要ではないかと考えて、たくさんの方々と相談しながら、私立二葉幼稚園を創ったのです。
 6人の子どもでスタートし後に二葉保育園としました。まだ女学生だった徳永怒(ゆき)さんが、この仕事に強い関心を持ち、資格を得る勉強をして就任しました。
 昭和になりますと、社会事業をめぐって変化もあり、昭和10年には財団法人にしました。この時期は世界大恐慌のあおりを受けて、厳しい経済環境でした。親子心中などがあったような時代です。子どもや母親たちを救わなければいけないということで、深川海辺町に母子寮をつくります。
 昭和20年には大空襲で深川一帯は全部焼けて、母子寮も罹災して焼失しました。本園も焼けました。当時、追分にあった旭町分園だけが残りました。
 かつて大正時代から、都内の託児所の子どもたちを夏休みの間、(調布市)上石原に連れていってキャンプなどをさせていました。徳永先生はそういう活動のリーダーでもあったので、なじんでいた多摩川の上石原に母子寮と養護部をつくりました。
 保育園も初めのうちは、乳児はいなくて、三歳頃から預かっていましたが、預ける年齢がどんどん下がってきました。今日では、多くの女性が自己実現するために乳児期から保育園に預けて、親と保育園が一緒になって子どもを育てるというような時代になってきました。

創業者お二人の写真のある会議室

 

 

―戦前は、どのようにして運営していたのでしょうか。

 

遠藤氏 : 戦前からやっている社会事業で、戦後も続いている所というのは、必ずしも多くはありません。それはやはり財政的な問題で破綻してしまうということがあったわけです。
  「二葉」がなぜ続けることができたかというと、野口先生の見識の高さがあったのだと思います。慈善音楽会をやってお金を集めたりしました。華族幼稚園に勤めていましたので、日本の上流階級との関係がありますから、そういう方々の協力があったと思います。ご寄付をいただいている方にニュースを作って報告するなど、丁寧に運営していました。
  財閥など、かつての支配階層の人達は貧しい人達に施しをするのは当然のことと考えていたわけです。今の企業家はどうかわかりませんけれど。
 昭和13年に社会事業法という法律ができ、こういう私的な救済事業に一定の公的な助成がなされました。
 戦争が激しくなりますと、男性は戦争に行ってしまい、労働力としては女性しかいませんから、その女性が働くために託児所が必要なのですね、それで昭和18~20年、日本の社会は子どもを公に託して働くという経験をしたわけです。いわゆる戦時託児所です。
 その経験があるので、戦後、児童福祉法(昭和22年)に基づいて保育所ができ、保育所に子どもを託すということに対して、大きな抵抗がなかったのではないでしょうか。
 戦争が終わって、施設を建て替えることができたのも、ひとつ大きな転換点だったと思うのです。昭和20年の空襲で焼け野原になりましたが、児童福祉法が、23年1月施行です。そこで保育の措置費という仕組みができ始めますので、ほんの数年耐えて仕事をがんばってやっていれば戦後のこういう動きに乗れたのです。

 

―キリスト教の愛の精神に基づいて運営していらっしゃるということですが。

 

今の福祉の話になると熱が入ります。

遠藤氏 : はい、野口先生がクリスチャンでした。野口先生を中心にして、職員のみんなで聖書の勉強をしていました。

 

―今でも、聖書の教えは運営の中身に反映されていますか。

 

遠藤氏 : そこはとても難しいところですが、理事長は代々クリスチャンです。

 

―社会福祉法人というのは公益法人なので、宗教とは一線を引かなければいけない部分がありますね。

 

遠藤氏 : はい、ございます。社会福祉法人の定款の中に、宗教を入れたら駄目と言われた時期もありますが、今は基本的には緩和され、民間の独自性を積極的に活用することによって、活性化して運営できればいいとなっています。だから精神や、運営方法に関しては自由です。しかし、お金の出し入れに関しては公的な仕事であるという、緊張関係のなかに社会福祉法人の運営はあると私は理解しています。

 

―現在、「二葉」さんはいろいろな地域にいろいろな施設があります。場所も施設も違う、職員さんも、全部で200人くらいおられるのですね。法人運営のご苦労などはありませんか。

 

遠藤氏 : 「二葉」の場合は、事業所ごとの活動が先にありました。「二葉」も法人運営を意識的に考え始めたのは、ここ10年くらいです。いままで、各事業所は、「二葉」につながっている事業所だということを誇りにして、社会的な信頼を勝ち得るための、いい活動をずっとやってきて、それぞれの業界でリーダーシップをとってきました。

事務所

 日本の福祉をめぐる大きな潮流のなかで、社会福祉法人として方向性を出すとか、運営基盤をつくることなどの方針が出されたのが、案外新しいものですから、意識を変えるのにずいぶん努力が必要だったようです。保育園のような通所施設と収容型の児童養護施設とでは職員の就業規則ひとつとっても労働時間の決め方など難しいのですが、それでも就業規則を一本化するということを試みたり、各事業所の責任者が管理者会を定期的にもって情報交換したり、各年度計画も長期・中期と、みんなで議論しながら決めていくとか、そういう空気ができていたところへ、私が理事長として就任しました。

 

―二葉保育園さんの原点についてうかがいます。

  

 

遠藤氏 : いつでも時代が必要とするものをきちんと引き受けて、仕事しようと思っています。社会のニーズというのは常に変わります。社会福祉というのは人間の生活を基盤にした仕事ですから、生活上困難をきたすことに対して、一緒に担っていこうという仕事なのです。人々の生活は常に社会の変化とともに変わりますから、そこから起こってくる問題も常に変わります。二葉はいつの時代も、特に子ども、女性、地域の抱えるニーズに応えていこうと考えて仕事をしてきました。

 

―社会や家族の変化に対し、アンテナをはっておかないといけないのですね。

 

遠藤氏 : それぞれに役目があり、私のような立場の人間は視野を大きくしていなくてはいけない。保育士は子どもやその家族の生活を見ている。子どもたちを見て、ああおかしいな、どうしたんだろうと気づいていかなければならないのです。

 

地域に開かれた保育園です。

―子どもが犠牲になる事件やニュースをよく見聞きします。

 

遠藤氏 : 今は家族や社会そのものが病んでいる時代ですから、弱い立場にいる子どもたちがその犠牲にりやすいと思いますね。弱い者に対しての温かい目とか、寄り添ってあげるという思いを社会全体が失っているのですね。

 

―地域社会が崩壊していることの悪影響でしょうか。

 

遠藤氏 : ただ私は東日本大震災の様子から、ある種の確信みたいなものを持ちました。やっぱり日本人というのは、非常に見識の高い、やさしい心持ちの民族だと思うのです。あれだけの災害があっても、秩序を保って生きていこうとする。そういう力がある民族だろうと思うのです。
 一人ひとりを大切にするという人間観のようなものをお互いに持ちあっていると思うのです。信頼されていると思えば自分でも頑張れるというのが人間の心持ちじゃないですか?
 福祉の現場というのは本当に労働がきついです。気持ちもきついのです。不得意なことは、できたら避けて通りたいと思うのですが、全人格的にかかわらなければ、相手が変わらないという現場なのです。人間の労働の中でも自分自身が問われる、専門性が高くなければ務まらない職場でもあるわけです。

 

―現在、保育園が直接、保護者と契約するような制度が検討されています。

 

遠藤氏 : たぶん大きな潮流ですから、避けられないだろうと思います。そのためには克服しなければならない課題がたくさんあると思うのです。
 行政としても、これだけ長い間責任を取ってきたのですから、簡単に手を引くというのではいけないと思います。経済だって国家がコントロールしているのでしょう。なのに、なぜ福祉はそんなに簡単に手を放すのでしょう? 70年も責任をとっておきながら、いまさらぱっと手を放すなんて考えられないです。やはり公の責任がどういうものであるか、ということをまずは明確にすべきです。
 ひとつの制度が成熟するまでには20~30年かかります。5~10年は混乱期と思っていい。こういう大きな制度の改革はそういうスパンでみないと、目先のことだけでやると混乱すると思います。
 今の状況からみると、保育難民が生まれるだろうと予測できます。それは今、介護難民ができているのと同じような構造です。
 しかし私どもは社会福祉の仕事をしていますから、難民は救済しなければいけないと思っています。「二葉」というのは、いつもそういう人達のために仕事をしてきた団体なのです。

 

―今後、(平成)26年までに三つの施設を建て直す、ということですが。

 

遠藤氏 : 「二葉」の歴史の中で、こんな大きな事業を決断するということは今までありませんでした。
 私たちはある意味では目の前の事業をスムーズに進めていくということを中心にしてやってきました。そうしましたら、たまたま、建て替えをしなければ、その次に進めないという状況になってしまっているので、決断しなければならないのです。
 ただこういう大きな決断をするということは、二葉の長い歴史の中の一コマとして乗り切っていかなければならないと思っています。

 

―本日は、ありがとうございました。

 遠藤氏のお話から、自分たちの仕事に対する揺るぎない自信と、子供や女性、社会的弱者に対する想いを感じることができました。何があろうと「二葉」は存続しつづけるのだろうと思います。

(文責 新美康弘)