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第一経理ニュース

特別対談 「戦災資料センター 創立10周年を迎えるにあたり」

 「戦災資料センター 創立10周年を迎えるにあたり」
         対談:早乙女勝元氏(作家)、阿部国博(第一経理相談役)

  

 

 東京大空襲・戦災資料センター(以下戦災資料センター)が2002年3月に開館してからまもなく10周年を迎えます。本日は戦災資料センター誕生に尽力された館長で作家の早乙女勝元氏と、第一経理の阿部国博相談役にこの10年の歩みと今後についてお話を伺いました。

 
 

 

司会 : 第一経理 菅 隆徳 

 

戦災資料センター建設までの歴史的経過

 

―まず戦災資料センター建設の歴史的経過につきまして、早乙女先生からお話しください。

 

早乙女 一夜にして10万人もの尊い命が奪われ、民間人に向けての大量無差別殺戮となった東京大空襲。それまで闇に埋もれていた惨劇を、1970年に組織的な記録として後世に残すべく、私や評論家の松浦総三さんらが「東京空襲を記録する会」を結成したことから始まります。

早乙女 勝元 氏
 
 当時は戦争を体験した文化人がいたので、一軒ずつ訪ね歩いて、色々な人に賛同してもらいました。最初は家永三郎先生です。
 先生は、私の住んでいた葛飾に日本史の教科書検定問題で講演にいらしたことがあり、そのときに、「これから原爆の惨禍の記述は質量ともに減らされていくだろう」という懸念を話されました。その後の懇談会で「東京大空襲も原爆に並ぶほどの惨劇だったので、ぜひ教科書に載せてほしい」と言ったところ、家永先生は、「東京大空襲の資料収集は今のうちに何とかしなければいけない」と言ったのです。その夜のうちに要請書を書き、いの一番に先生に発起人になってもらいました。
 会の代表は作家の有馬頼義さんにお願いし、東京都に要請行動を起こしました。事前にマスコミに知らせていたので、都知事室はマスコミのカメラでいっぱいでした。当時は美濃部都知事による革新都政で、知事は、「これほどの大被害を記録として後世に残すのは革新都政の使命だ」と言って、東京都が助成することに快諾しました。その方法は民間で記録をまとめ、東京都がそれに援助をするというやり方でした。

 そうして3年以上かけて『東京大空襲・戦災誌』という五巻本を完成させました。この本は菊池寛賞などの賞をとり、今も東京都民の立場を基調にした、貴重な歴史的文献になっています。
本ができたところで、次は東京大空襲資料館を造ろうという要請行動を起こしました。美濃部都知事は、「爆撃の資料がアメリカにあるはずで、建物を造る前に資料集めが必要ではないか」と言いました。私は建物を先にと言えば良かったのですが、それが失敗でした。

 やっとのことで資料も集まってきて、さあこれから建物を!という時に革新都政が終わりとなり、保守都政が続きました。でもその時に集めた資料は相当量あるので、いずれ資料館を造るということで、東京都にずっと預かってもらっていたのです。それが石原都知事が登場した1999年に建設計画が棚あげとなり、資料を引き取るか、倉庫代を払うかの選択を迫られました。しかし、資料は一部分でもダンボール40箱分もあります。とても個人では引き取れません。とりあえず倉庫代を一年間は払ったのですが、これから先どうするかで悩み、ふと思いついたのが、第一経理の阿部先生なのです。

 

 

―なぜこうした戦災資料センターのような資料館が必要なのでしょうか?

 

早乙女 一言で言いますと、戦争を防ぐためです。防ぐからには戦争とはどういうものかが分かっていないと無理です。東京大空襲は一夜にして10万人も犠牲になり、亡くなった人達は今や何も発言することができません。生き残った者とその後に生きてきた者の心の中にしか存在できない。私は当時12歳で東京の下町にいましたが、かろうじて生き延びることができました。体験者として、その無念の思いを汲んでいくのは人間としての使命だと思います。

 ある中学生から、戦争体験を書いたり、話したりすることで戦争を阻止できるのですか、と聞かれたことがあります。私は、それは無理かもしれないが、阻止するための一歩にはなるだろうと答えました。階段は一歩ずつしか上がれないから、そういうことに関心をもってしっかり学ぶことが大事で、無関心であっては駄目なんだ、と。

 現在では、あの戦争は日本の自存自衛のためであったという主張や教科書があるほど。子どもや女性など民間の立場で過去の戦争の惨禍を掘り下げ、その事実を知る・学ぶということが、未来の平和の力に結びつくと思うのです。

 

戦災資料センター建設に向けての運動開始

 

―早乙女先生から相談を受けて、戦災資料センターが政治経済研究所の敷地に建つことになったのですが、その繋がりはどんなことからなのですか?

 

阿部 まず政治経済研究所についてですが、前身が東亜研究所で、由緒があり、学者も大勢いたのですが、段々先細りとなってしまいました。そのメンバーだった学生時代からの友人に、政治経済研究所の運営に参画するように依頼され、理事長を引き受けることになりました。

阿部 国博 氏

 理事長を引き受け、これからどうしようか、と思った時に、第一経理のお客様である染野さんが事業をやめるので、土地を世の中の役に立てて欲しいから差し上げます、と言ってきたのです。180坪位あり、当時の時価で4億円です。個人で貰うと贈与税が2億円近くになりますが、財団法人政治経済研究所で貰えば無税になるので、政治経済研究所で譲り受けることにしました。当初は倉庫を造るという話だったのですが、先ほどの早乙女先生の話と結びつき、無償提供頂いた土地に研究所の建物を建て、残りの半分に戦災資料センターを政治経済研究所の付属機関として建てようということになりました。そして建物の建設費用1億円を集める為に2000年春に学士会館で旗揚げをし、募金運動を開始しました。

 

早乙女 土地を借りたり、買ったりしたのでは、戦災資料センター建設はとても叶わぬ夢でした。といっても、一億円もの大金が転がりこんでくるわけではないので、最初は雲を掴むような話でした。

 

阿部 募金についてはメンバー全員で懸命に動きました。マスコミも応援してくれ、この運動を度々報道してくれました。

 

早乙女 募金のエピソードで心に残っているのは、500万円を募金したいと言う女性の話です。ご主人の遺志で、ということでしたが、聞くと彼は軍医で、東京大空襲の炎の夜に現在の墨田区本所で怪我をした人の治療に当たったそうです。その惨状たるやまさに一般市民、婦女子の「戦場」で、その後、京都で医師をしていたけれどこの体験がずっと心に残っていたそうで、ご好意に胸が熱くなりました。
 中には年金暮らしで2000円がやっとだけど、必ず完成させよ、完成しなかった場合は返金せよ、という方もいました。また、空襲で犠牲となった母の名前で振りこんでくる方もいました。
 色々な立場の人が共鳴してくださって、それぞれの思いで募金をしてくれました。開館式の時点で、約4000人の方から総額1億7百万円が集まりました。

 

阿部 第一経理の顧問先や、職員の皆さんにも募金に応じて頂きました。土地は染野さんから頂き、建物を建設したのは新協建設さんです。
 募金した方のお名前は銘板に全員打ち込んで、今も戦災資料センターの壁に取付けてあります。

 

開館してからの10年を振り返って

 

―民立民営で開館されてから10年になりますが、その中でどんな活動をされてきたのでしょうか。

 

早乙女 最初のうちは、無我夢中でした。
 開館日は2002年3月10日ですが、その日には既に数校から修学旅行のコースに入れたいという依頼がありました。東京大空襲を体験した語り部の方も用意して、これは平和学習の場になるなと思いましたね。それから段々とセンターの存在が知られていきました。と言ってもディズニーランドが主で、こっちはおまけみたいなものですが、それでも良いから一回でも来て見てもらえば違うと思うのです。
 すると次なる問題が生じました。会議室に50人しか入れないのです。これでは修学旅行生を迎えるのは無理です。会議室、展示室を倍増できないか、という声があがり、開館して5年も経たないうちに増築することを決めました。
 新築の家を建てて、5年もしないうちに倍ほども増築をする人なんていないでしょ。計画性が無かったのではなくてカネが無かったのですよ。でも、もっとしっかりしたものにすれば後の世代に残せるという思いで、またまた増築募金に踏み出しました。

 

阿部 2005年から募金活動を再度始めて2007年3月にリニューアルオープンしました。

 

早乙女 でも私はこの時の募金は比較的集まりやすかったような気がします。その理由は例の9・11にあったと思います。ニューヨークでの奇怪な同時多発テロ事件、あそこから21世紀に期待した平和が崩壊し、アメリカによるアフガン戦争、イラク戦争へと続いて未だ戦火は消えていない。我々の期待する平和はこんなにも脆いものか、という危機感があったのではないでしょうか。それに比べて最初の方がつらかった。皆、本当に建つのかな、という疑心暗鬼な反応でした。

 

―今、力を入れて取り組んでいることは何ですか?

 

早乙女 体験者がかなり高齢なので、元気なうちに証言を映像で残すビデオライブラリー活動に取り組んでいます。これはトヨタ財団の助成がとれ、聖路加国際病院の日野原先生をはじめとして、既に何人かの証言をまとめております。けっこう評判が良いんですよ。

 

 これからの将来に向かって

 

―これから将来に向かって戦災資料センターをどう充実させていくか、抱負や課題をお聞かせください。

 

早乙女 大きく2つの課題があります。
 まず一つ目ですが、昨年の東日本大震災から修学旅行のキャンセルが続き、来館者が半減してしまいました。放射能の問題ももちろんありますが、東北の生徒たちが多かったので影響をもろに受けています。来館者が十万人を超えるところまで来ての足踏み状態です。この影響はいつ終わるというものではないので、このままいくとセンターの財政も厳しくなります。今後はそれをどう乗り切っていくのかが当面の課題ですね。

 次に、戦災資料センターの運営を支えてくれている維持会員が1500人ほどいます。会費は年間2000円で、会員向けにニュースを年二回発送し、活動の経過やこれからやる企画などをお知らせしています。それとは別に友の会もありますが、共通するのはいずれも高齢化問題です。先日、それら協力者の年齢層を調べたところ、75歳から80歳までの人が多いというのが心配です。

 ただ目下のところ、30代の優秀な研究者がかなり頑張ってくれています。彼らは誰かに誘われてここに来たのではなく、来館者の一人として来たのです。そして自分にやれることがあれば、ということで活動してくれている。なので今後は高齢者と共に若い世代によるセンターの構成力の厚みをどう増していけるのか、というのが大きな課題ですね。そして、とにかく一人でも多く維持会員になって頂きたいのです。

 


 阿部 来館した人が感想を書く感想ノートというのがあるのですが、それを読むと、誰もが戦争のむごさ、悲惨さを知り、あるいは思い出し、驚き、憤りを感じています。そしてその感じとった思いを多くの人に伝えていかなくてはならないということも書いてあります。これは大事なことだと思います。

 やはりセンターにもっと多くの人に来てもらって、見てもらうことが何より一番大事です。寄贈されている資料の中に雛人形があります。お父さんが大空襲の火の中に飛び込んで持ち出したというものですが、展示されている資料、それぞれ一つ一つに物語があります。それらを分かりやすく説明できないかと思っています。単に見ているのとでは感動が違うと思います。物は物だけれど、それを持ってきた人、大事にしてきた人がいる。その顔が見えるように、その接点を伝えていきたいと思います。

 

早乙女 最後に、戦災資料センター10年の歩みと重ねての新刊『ハロランの東京大空襲―B29捕虜の消せない記憶』(新日本出版社)を出しました。こちらもよろしくお願いします。

 

―今日は貴重なお話をありがとうございました。

(文責 吉澤由美子)

 

  ■■ 東京大空襲・震災資料センター ■■

  江東区北砂1-5-4 TEL 03-5857-5631

       開館日時  水曜~日曜 12時~16時
       休 館 日  月曜・火曜・年末年始(12月28日~1月4日)       
             ※3月9日、10日は曜日に関わらず運営します
       協 力 費  一般       300円
          中・高校生   200円
          小学生以下       無料

         ※10名以上の団体の方は、事前にご連絡ください。
         ※学校等団体の場合は、開館時間外や休館日でも相談に応じます。
         ※車椅子専用エレベーターおよびトイレがあります。
         ※駐車場はありません。