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第一経理ニュース

我が社の原点

食の安心、安全を追求することが社会に貢献!

 

 

 

 

 

株式会社 ヴィヌーベル (GINZA ORIKASA) 
代表取締役 折笠 和也 氏

 

 「銀座4丁目の隠れ家」「おしゃれなフレンチ鉄板焼」。インターネットの口コミサイトで、多数の高評価を得る飲食店「GINZA ORIKASA(銀座オリカサ)」さん。今でこそメディアにも多数登場する人気店ですが、1999年にオープンした当初は客が全然来ず「このままだと年が越せない」と思ったというエピソードも。社長の折笠氏に、レストラン経営の面白さや難しさ、今後の展望をうかがいました。

 

聞き手 : 池袋本店第二 大澤 一弘

● 興味深い食材がずらり

 

― 「奇跡のリンゴ」、「くまもと藤岡牛」、「神奈川県産中ヨークシャー種の豚」「天然蝦夷鹿モモ肉のロースト」……。メニューを見ていると、あまり聞いたことのない食材が豊富ですね。興味が湧きます。

 

折笠 「奇跡のリンゴ」というのは、青森県弘前でリンゴの自然栽培をしている木村秋則さんが作るリンゴのこと。世界で初めて無農薬・無施肥のリンゴの栽培に成功された方で、現在では、全国各地での農業指導や勉強会などの活動でも広く知られています。
 「くまもと藤岡牛」は、俳優の藤岡弘さんが命名。国産飼料だけで育てられる「熊本あか牛」のことです。とても稀少な肉で、脂(サシ)が少なく赤身肉中心の和牛。飲食店としては、当店でしか食べられない肉なんですよ。
 ワインはフランスの産地と同じ状態で低温冷蔵管理しているインポーターより仕入れています。蔵を一歩出たところから、うちのセラーに入るまで15度をキープされているんです。言うなれば「活きたワイン」でしょうか。

 

― こうした厳選された食材を、目の前の鉄板で焼いてもらう。オープン当初からこれが「銀座オリカサ」の醍醐味ですね。こうした食材の仕入れはどうしているのですか?

 

折笠 基本的なスタンスとしては、産地へ行き生産者の方と実際に会って、交流したものを扱っています。築地から仕入れてくるとか、八百屋さんから仕入れてくるというのは一切ないんです。全部産地から直接仕入れ、生産者の顔を知っているものしか扱わないというのがひとつの売りですね。

 

― なぜそこまで仕入れにこだわるのでしょう?

 

折笠 キーワードは体感です。市場や店などに、ただ出かけていっても作り手側として実感が持ちにくい。それではお客様を説得できないからです。
 例えば書類上で産地はどこ、銘柄は何と、やりとりをしていても、生産者の顔は見えませんよね。ところが、岩手の短角牛でも熊本のあか牛でも、牛が育っている山の中に牛と一緒に立って、同じ空気や風を感じると「これは本当に健康な牛だ」と実感できるわけです。その健康な牛をお客様に提供する。テーブルで「この牛肉はどういうものですか?」と聞かれた際の答えが全然違ってきます。
 だから、肉でも魚介でも野菜でも、生産者のところへ行く際は、社員を連れて行くんです。うちでは、特にそこを大事にしたいと思っています。

 

● 出発点はデリバリー天ぷら

 

― 飲食業を始められたきっかけは?

 

折笠 最初は、板橋区で鶏料理店を立ち上げたのがきっかけです。鶏天重といって、鶏肉専門の天丼です。これは当時としては少しマニアックすぎたようです。ただ、近くに大きな病院などもあって、その場所では配達に需要があることが分かりました。そこで、「カズ天」という天ぷらと天そばの宅配専門店を立ち上げました。

 

― 売り上げはいかがでしたか?

 

折笠 順調でした。もともと、蕎麦屋では1500円位する天ざるを、きちんとしたお重に入れて680円という価格で提供するのがコンセプト。オープンするなり、いきなり1時間待ちになりました。店内は朝から晩までフル稼働。家庭の主婦の働く場所が少なかったから、雇用にも困ることはありませんでした。すぐに2店舗目も出店し、設備費もかけましたが、借入金はどんどん返していける状態でした。

 

― ではその後閉店されたのは何が問題だったのでしょう?

 

折笠 デリバリーという業態は、ものすごく薄利多売だということを改めて実感したことにあります。安く売ることで原価率が高くなっていくし、何より作る人、配達する人と人件費がものすごい。人件費だけで、売上高の4割近く払うわけです。
 「売り上げは上がるけど、何か儲からないなぁ」と思っていたのですが、当然ですよね。大規模資本で多店舗展開するなら別でしょうが、2店舗でやるには厳しかったのです。徐々に、何のためにやっているのか分からなくなりました。逆に、「売り上げは小さくても、しっかり利益を出せる店」にしようというのが「銀座オリカサ」を作るひとつのきっかけになりました。

 

 

 

● メディアを上手に利用する

 

― そうして誕生したのが「銀座オリカサ」ですね。オープンはいつでしたか?

 

折笠 1999年の7月です。

 

― 開店当初はいかがだったのでしょう。

 

折笠 それはもう、開いたはいいけれど、全然お客様が来ないという状態でした。

 

― 変化のきっかけは?

 

折笠 「このままだと年が越せない、やばいな」というときに、当時、銀座特集では一番の人気だった雑誌『Hanako』から電話があったんです。「雑誌に載せさせてもらえませんか?」って。それが救いの神でしたね。載せてもらってから、状況が180度変わった。女性の電話予約が殺到して、予約が取れないほどに。本当に1ヶ月、2ヶ月先まで予約でいっぱいになったんです。

 

― オープンしてすぐの話でしょうか?

 

折笠 10月末でしたから、4ヶ月後くらいでしたね。1誌に紹介されると、他の雑誌にも、次にはテレビの取材もとなって…。そうなるともう予約がこなしきれなくなり、もう1店出そうということに。2店舗目は銀座七丁目の銀座通りに出しました。こちらもおかげさまでメディアに取り上げていただいて・・・。一番すごかったのは朝日放送の『旅サラダ』の反響です。電話が鳴りっぱなしで大変でした。

 

― でも、その間にはBSE(狂牛病)騒動など、大変なこともありました。

 

折笠 BSE問題に、9・11。好調は、そうそう続かないものですよね。あのときは売り上げがガクンと落ちて…。神様は試練を与えるものだとしみじみと思いました。
 でも、そうした中で復活を遂げることができたのも、やはりメディアの力によるところが大きかったと感じています。先ほどの『旅サラダ』をはじめ、色々な媒体を通していいお客様に出会えて、盛り返していきました。
 2店舗目のほうは、ビルのオーナーが変わり、立ち退き問題が起こったのをきっかけに一旦クローズしたのですが、その後リーマンショックがあって…。もし、あのまま続けていたら経営は大変なことになっていましたから、今思えば幸運だったのかもしれません。

 

― 現在は、ホームページやブログを使ったPRもなさっていますね。

  

折笠 はい。特に「銀座だより」というブログは効果を実感しています。やるからには、毎日更新しようと思って取り組んでいるのですが、こちらがメニューの説明をするまでもなく「おすすめと書かれていたこれを注文しよう」とか、お客様は見てから来てくれている。ブログだけでなく、今はフェイスブックなどもありますから、これからももっと広げていこうと思っています。

 

― 有料の飲食店情報サイト大手「ぐるなび」も使っていますよね?

 

折笠 おかげさまで、当店のお客様は7~8割がリピーターの方。リピーターの確保には、これまでそんなに苦労はしていないのですが、その枠を広げるのが大変なのですね。今は、その手をようやく探り始めたところです。
 「ぐるなび」は、ちょっと変な言い方ですが、保険のようなものと考えています。「銀座で食事をしたい」と思ったときに、何で調べてくるのかがまだいまひとつつかめていません。だから、入っていないと心配な保険という感じで使っています。

 

― インターネットの情報サイトが電話帳の代わりとなっているようなものですね。

 

折笠 そういう感覚でやっていけたほうが将来的にいいかもしれないですね。年間の広告料は負担が大変ですので。
 意外に、自分のことはよく分からないものですよね。人の会社のことはよく見えるけれど、自分の会社となると違うものです。

 

● 原点はパイオニアスピリット

 

―やると決めると、動きが早い。そんな折笠社長の原点とは、ずばり何でしょう?

 

折笠 私自身は東京出身ですが、両親の田舎が北海道なんです。帯広から少し東にある、幕別という土地の農家です。私の曽祖父あたりが福島から北海道に移って、当時は石ころだらけの荒地を開拓していったと小さな頃から聞かされていました。
 幕別は今、私の従兄弟が受け継いで「折笠農場」という農場を経営しています。彼は私より20歳ほど年上なのですが、早くから農薬や化学肥料に頼る農法に疑問を抱き、低農薬・無化学肥料栽培に取り組み始めた人。大規模農家でこうしたことを行っていくのは、非常に画期的なことでした。何といっても70町歩ですからね。東京ディズニーランドの1.5倍の分です。
 同時に、流通も自分たちで考え、販路をつくっていくということも行っていました。当時は、十勝の農家のなかで独自に販路を開くなんて異端児的な存在でしたよ。私のビジネスは当初、この販路の開拓を大阪や東京で手伝ったことに始まります。私の原点というものがあるなら、開拓者一族としてのルーツ、そしてファミリーにあるかもしれませんね。いうなれば、パイオニアスピリットでしょう。

 

― 安心安全な食材の追求、造詣の深さはそうした農業との関わりにもあるのですね。

 

折笠 ちなみに、黒毛和牛が1頭育つまでにどのくらいのエサを食べるか知っていますか? だいたい6トンくらいです。家畜のエサって実はすごい量で、世界の代表的な穀物であるコメ、小麦、トウモロコシそれぞれの生産量は年間約6億トンなのですが、そのうち約4億トンは家畜の飼料になっているそうです。残りが人間用ですが、その8割は先進国で消費されていると聞きました。
 他方、世界では多くの子どもたちが飢えで死んでいくという現実もありますよね。4億トンの1割を返すことで、飢餓で苦しむ子どもたちを助けることができます。
 日本は穀物飼料のほとんどを輸入に頼っていますが、例えば穀物メインの濃厚飼料でなく、牧草サイレージ等の粗飼料を使用し、また、輸入でなく国産の飼料での畜産が進むことで、こうした社会問題に対応することが出来るのです。うちでは粗飼料多給型や国産飼料で育てられた「牛」、ヒトの身勝手で害獣と呼ばれるほど増えすぎてしまった「蝦夷鹿」や「猪」をご提供することで社会に「少しでも貢献したい!」今はそれがライフワークのひとつになっています。
 実は、冒頭で話に出た「くまもと藤岡牛」もそのひとつ。藤岡弘さんと協力して、各地で奮闘する畜産農家を応援し、結果、世界の子どもたちを助ける活動につなげたいと取り組んでいます。事業ですから、もちろん利益も出しつつ、世の中を少しでも変えていく枠組みを作っていきたい。今後も積極的に関わっていこうと思っています。

 

― ソーシャルビジネスですね。第一経理も社会に対してそういう企業でなければいけないと考えています。簡単なことではありませんが、一歩ずつ取り組んでおられること、それが少しずつ広まっていることに大きな展望を感じます。本日は貴重なお話をありがとうございました。 

(文責 大澤 一弘)

 


折笠さんのブログ「銀座だより」  http://gorikasa.exblog.jp/

GINZA ORIKASA ホームページ http://www.ginza-orikasa.co.jp/  
(リニューアル中。近日アップ)