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第一経理ニュース

我が社の原点

寿司に込められた『こだわり』 隠し味は『信頼』と『納得』

  

  

  


 

株式会社 ミール (グルメ回転寿司 大和)

代表取締役 石井 康雄 氏

 

 寿司といえば高級というイメージがあります。その寿司を廉価で食べる事が出来る回転寿司。昨今では、大手回転寿司チェーンが“一皿105円”などの低価格で熾烈な競争を繰り広げています。
 そういった中、回転寿司店の激戦地・東京都東大和市で営業を始めて16年になる「グルメ回転寿司 大和」さん。今回は、社長の石井氏に、回転寿司への思いを伺いました。

 

 

聞き手 埼玉事務所 長谷川 元彦

「いらっしゃいませ!」

 

―お店の中は、笑顔で接客をする板前さん、店員さんが印象的ですね。

 

石井 : ありがとうございます。この業界はキツイ、汚いという入りにくい仕事です。労働条件も良いとは言えない面があります。ですが、板前はみんな10年以上働いてくれている長い人たちです。30年ほど前の話になりますが、私も下積み時代には朝10時から仕込みを行い深夜0時に店が閉まるといった毎日で、月に休みが1~2日しかない様な日々でした。その頃からいうと労働条件も改善されてはいますが、飲食業というのは仕込みから閉店まで毎日大変です。

 

―大変なお仕事とのことですが、そういった中でも職人さんや店員さんが明るく元気に働いてくれている秘訣を教えてください。

 

石井  私は結構フレンドリーなんですよ。以前、こういった出来事がありました。当時30歳だった職人に、引き抜きの話がきました。給料も、うちのお店より遥かに良い金額が提示されたため、「お前、どうするんだ?」と尋ねたところ、「行かないですよ。だって、僕は社長のことが大好きですから!」と言って、店に残ってくれたのです。

 私が昔から大切にしている事に、『不公平が嫌い』という事があります。世の中は不公平なことだらけです。だからこそ、自分の店の中では公平でありたいと考えています。公平というのは、きちんと見てあげる事です。やってくれている事をしっかり見て、ちゃんとやっている人にはやっただけの事を返してあげる事です。やった人もそうでない人も同じ給料というのは不公平ですよね。そうは言っても、雇用というのは答えがないです。昨年、一昨年と連続して、信頼を寄せていた板前が病気などにより立て続けに辞めていってしまいました。新しく人を雇い入れる必要がありますが、うちの店には合わないと一日で辞めていく人もいます。今なお、雇用は悩みの種です。また新しい人と信頼関係を築きあげていければと思っています。

 

 

「大将になりたい!」がきっかけ

 

―飲食業を目指されたきっかけを教えて下さい。

 

石井 : ただ単に、人に使われる事が嫌だったからです。飲食の業界であれば、独立しトップになりやすいのではと思った事がきっかけです。普通の会社のサラリーマン、工場にしてもトップまで上り詰めるのは相当大変です。私には無理です。飲食店なら、小さいながらもその中の頂点になれるなと思ったのです。

 勿論、最初からお店が持てるという訳ではありません。そのため、先ずは5年ほど板前修業をしました。私が17歳の時の話です。埼玉県の鳩ケ谷で、私の叔父が寿司割烹を始める事となり、そのお店で料理のいろはを学びました。朝の仕込みから深夜の閉店作業まで、休みがないという月もありました。次に、1年間炉端焼きを経験して23歳で独立をしました。その後、様々な飲食店を経営し、そして最後にたどり着いたのが回転寿司です。

 

―どの様な飲食店をされていたのですか?

 

石井  一番始めは、東京の北区。赤羽駅の西口の真ん前で居酒屋をやりました。そこで3年ほど、17時から朝5時まで、最初は一人でお店を切り盛りしていました。繁盛もしていたのですが、1年半くらいたって、お店を人に任せ、手打ちそばの勉強を始めました。そして、日本そばのお店を出しました。その次がおでん屋です。おでん屋には、当時走りだったカラオケも入れました。歌うスペースが無かったため通りに出て歌うカラオケです。当時は1曲300円位で、画面も動かない、歌詞カードだけのカラオケでした。歌声の聞こえる賑やかなお店でした。ですが、そこが再開発になってしまったのです。ビルが建つことになり、新しくビルが出来るまでの期間、赤羽駅の構内で営業できる事になり、初めて回転寿司をやりました。

 

―今までやっていた居酒屋ではなく、何故回転寿司を始めようと思ったのですか?

 

石井  あの場所から立ち退く人は数百人。物件が少なく20店舗程しか新しいお店には入る事ができませんでした。新しく入る場所も抽選です。同じ区画内に伯父が店をしていましたので、共同で応募して運よく当選しました。その際に、叔父から回転寿司をやらないか?と。もともと寿司を握っていたんだしという事で。それが、回転寿司を始めるきっかけとなりました。

 そして、回転寿司をしているうちに、行く行くは郊外で大型のお店を持ちたいなと思い、今に至ります。今のお店は自分のイメージ通りなんです。


 

 

新天地・東大和市。夢であった大型店舗を持つ!

 

―駅前のビルに店を持ちながら、どうして東大和市に?

 

石井 : 東大和は私が育った街です。生まれは赤羽ですが、私がゼロ歳の時に東大和に引っ越してきましたから。乱雑な駅前が嫌になってしまいました。郊外で、車の置ける大型の店を持ちたいという思いからです。

 

―移ってみてどうでしたか?

 

石井 : ここに移り、店をオープンしたのは16年前の事になります。しばらくは良かったですね。回転寿司が4軒あったのですが、うちがオープンするまでに2軒なくなってしまいました。競争が少なく良い状態でした。それと、周りの回転寿司店は古いタイプの回転寿司でした。回転寿司は安くてものが良くないという時代がありましたよね?回りっぱなしで注文が出来ないというような。ネタも工場でカットされて冷凍パックされたもので、職人がいなくても回る様なお店です。うちの場合は、自前で加工してタレも作って、シャリも炊いて。一般の立ち食い寿司と同じ様な形態の回転寿司を当時からやっていました。形態は回転であっても、まったく普通のお寿司屋さんと同じで、値段は半分か三分の一。これがうちの売りです。

 回転寿司は、昭和29年に大阪で生まれました。その間、私は、回転寿司は好きじゃないと思っていた期間があります。ベルトコンベアで流れてきた真っ四角のシャリにバイトがネタを乗っけるという形。あれは、寿司ではないと皆が言っていました。私が子供のころ食べていた普通のお寿司屋さんの寿司をもう少し安く食べられたら。そういう思いでこのお店を始めました。

 

―比較しては申し訳ないのですが、本日頂いたお寿司は通常の回転寿司とは全然違いますよね。どうすればこういうことが可能になるのでしょう?

 

石井  仕入れですね。仕入れを自分がやらなくては無理です。これは、板前には難しいです。色んな板前がいます。経験もある、見る目もある。しかし、交渉は難しいのです。

 飛び込みでは相手にされません。私は、毎朝、市場に赴き、自分の足を使って市場を回りました。早くから行けば良いのか、閉まる間際に行くのが良いのか。そうこうしているうちに、長年かけて顔が利くようになり、信頼関係を作ってきました。私の給料で、人の店でも同じ事ができるかというと、できないです。自分のお店であるから、経営者であるからこそできる事です。「絶対に買うから」と。何とかなるものです、頑張れば。

 そして、もう一つ。情熱ですね。相手に決めさせない、これで買うと自分で決めます。自分で金額を決める。この信頼関係と情熱、それがあるからこそなんでしょうね。昨年の大震災の後や、台風の時などは、魚が入らなくて大変でした。ですが、信頼関係で乗り越えることができました。

 

 

せっかく食べるのであれば…

 

―現在、外食産業は飽和状態にあり、回転寿司の業界においても、様々な売りで競争が激化してきていると思います。低価格、美味さ、解体ショーといったイベントなどなど。そういった中で社長は何を提供していきたいですか?

 

本日のイチオシメニュー『赤貝』

石井  それは勿論、『美味さの追求』です。せっかく食べるのであれば、本物を食べて欲しい。『自分が納得できないものは出せない、納得しないものはやりたくない。』、自分がこだわって自信を持って出せるもので、尚且つ安く提供をしてきました。 ここに移ってきた時には、全く競争がありませんでしたが、この10年で大手チェーンが20軒ほど出店し撤退していきました。今までは、自分のこだわりで何とか大手チェーンとの競争にも勝ってくる事ができました。

 グルメ系で美味しいもの、納得したものを出さなければ、お客様は来ないだろうと思っています。自分なら、せっかく食べるのであれば美味しいものを食べたいと思うので、本物でなければ行かないです。

 併せて、今の規模は維持をしていきたいと思っています。本来であれば、美味いもの、本物は小さい店の方が追求しやすいです。ですが、2~3人で回している店は1人が休むと動かなくなってしまいます。20人の規模であれば、1人が休んでも何事もなくお店は回っていきます。年中無休でやりたいという思いがあるからです。いつ行ってもやっているお店、いつ行っても本物を味わえるお店でありたいと思っています。

 

 

ライバル店、現る!

 

ボリューム感のあるランチセットは525円と破格で人気商品です。

石井  しかし、ここ最近は厳しいです。この東大和という地で、大手チェーンとの競争に何とか打ち勝ってきました。しかし、数年前、近くに大手チェーンのK寿司ができました。ここには、どうしても勝てない。お客さんを持っていかれてしまいました。私の『自分を信じてやってきたこだわり』は、今までに出したどのお店でも間違いはなかったです。居酒屋、そば、おでん屋、回転寿司とお客様が来なかった商売はひとつもないです。赤字を経験したことがありませんでした。自分で納得したものを出していれば絶対にお客様はついてくるという確固たる自信があったのですが…。


 ここ数年は上手くかみ合っていない様に思います。今までのこだわり、そこにもう一つ踏み込みたいと考えています。自分が納得していてもお客様はきてくれないなと。

 

―デフレの中で、今までの経験則が通用しなくなってしまったということですか?

 

石井 : はい。来てくださるお客様は、「美味しい!」、「普通の寿司屋ならこの値段では済まない!」と言って下さいますが、現実にはなかなか…。

 105円寿司をみていると本当にすごいと思います。薄利多売でも年商何百億というビジネスはすごいです。また、タッチパネルで注文ができたり、お皿の枚数でおもちゃが貰えたりと、常に新しいものを提供しています。

 デフレや不景気と言っていても何も始りません。自分でやらなければ何も始まらない。打つ手は限られてはいますが、今、このお店のリニューアルを考えています。この状況でなにが良いのか、やはりグルメ系で美味しいもの、そこにもう一つの何かを。

 

 

3回目の創業を目指して!

 

―もうひとつの何かとはどの様な事をお考えですか?

 

石井  この店を作った17年前に頭の中を戻して考えています。やはり出てくる答えは、自分の納得できないものはやりたくないという事です。そして、それと同時に本物、美味しいものを、教えていくことを考えています。新鮮さをお客様の目に訴えかける、宣伝で訴えていく、伝えていかなければいけないと考えています。いいものであっても食べ比べれば分かりますが、実際に食べ比べている訳ではありません。いいものに気付かないという人も多いですから。

 

―次なる展開ですね。

 

石井  赤羽で居酒屋を始めたとき、そして、東大和に移ってきたとき、そして、今回。これで3回目のスタートです。まずは、人。人の募集もしたいと考えています。1人では行き詰ってしまいますから。新しい人と、今いる信頼のおける板前と共にこの地で新しい商売を始める様な、そういった気持ちでまた3回目の創業をしたいと考えています。出会いは運命ですね。

 

 

 経営理念は何ですか?と伺ったところ、「昔はスローガンを書いて貼ってありました。今は剥がしてしまいました。」と笑う石井社長。ですが、剥がしてしまったスローガンよりも社長の思いを強く伝えるものがありました。
 ふんわりと空気を含んだシャリ。寿司ネタからは新鮮さを伝える色艶。口の中に入れた瞬間に解けるシャリは、職人の腕でなければ作り出すことができません。分厚く切られた脂ののった旬の魚と、シャリの程良いバランスには思わず笑みが零れてしまいます。筆者は、ミールさんの原点を寿司の一貫に見つけた様な気がしました。

(文責 武内志穂)