• 【東京・埼玉で税理士事務所をお探しの方へ。第一経理は中小企業の皆様に、身近でかけがえのないコンサルタントとして60年超の実績があります。】

第一経理ニュース

随想 No.46

坂の楽しみ

 

スタビライザー株式会社
代表取締役 阿部 敏夫

 
 坂は楽しい。左右を見ながら風情のある古い屋敷を見つけたり、歴史を感じさせる建造物があれば、なおのことである。見越しの松など最近は望むべくもない。

 それでも神楽坂界隈には由緒正しい小さな坂が多い。だいたい、この街は歩いて疲れをしらない。なぜなら綺麗な店が魅力的なのだ。

 坂に興味をもちだしたのは7・8年前からである。すでに10年を越える読書会があって、例会を神楽坂のホンカキ旅館「和可菜」で実行してからだ。ご縁は手近なところに見つかり仲間の植松信保さんに骨を折っていただいた。

 講談社出身の平松南さんは、タウン誌「神楽坂まちの手帖」の編集長である。

 この方に軽子坂、神楽坂通りをはじめ見どころを案内していただいた。とりわけ気に入った文具店が相馬屋である。夏目漱石も通ったと言われる店で原稿用紙を買った。それで、いい文章を書ける訳でもあるまいに。季刊のタウン誌は丁度、神楽坂界隈の名坂ベスト30を特集である。2004年6月発行の第5号である。3回に分けての特集だ。

 その中に問題の浄瑠璃坂がある。もっとも私にとってだけかもしれないが。かつて都内で美しい名前の坂をあげた三つの名坂は次の通り。神楽坂、妻恋坂、帯坂である。実は浄瑠璃坂にするか帯坂にするか迷ったあげくに帯坂を採った。両方とも江戸時代の史実に由緒があった。帯坂は番町皿屋敷の故事を伝える。これはよく知られている。さて一方の浄瑠璃坂はどうだろう。まず漢字が書きにくい。それでも発音して語感のよさは、こちらだろう。帯坂と入れ替えてもよかったのだが漢字の難易度で帯坂にした。いい加減なものである。

 実は時代小説家、竹田真砂子に浄瑠璃坂の討入りと言う力作がある。忠臣蔵への道との副題つきである。忠臣蔵の30年前に起きた事実を忠実に描いて面白い。念のため手許の江戸10万日の記録(明田鉄男編著、雄山閣)にあたれば、あるではないか。寛文十二年(1672・2・2)奥平大膳亮の家来奥平源八・同伝蔵ら多数で江戸市ヶ谷浄瑠璃坂の元同藩士奥平隼人邸を襲い、源八の父敵隼人を打ち取る。これが30年後の忠臣蔵に大きな影響を与えたのは間違いない。

 若干の予備知識をもって市ヶ谷のこの坂を宵の静かな時間に訪れた。界隈の坂の中でとりわけ寂寥感(せきりょうかん)に溢れる想いがしたのは独りで目的もなく、歩いたせいだろうか。

 坂はそれだけで美しい。樹木の匂いにまじって歴史の香りがそっと耳もとに降りつもるのだ。特に浄瑠璃坂の場合には。

 「坂を楽しむ会」の会長をながくやっている。毎日一万歩以上を歩いているせいで登り坂もさほど気にならない。東京の坂や近郊の坂道をそぞろ歩きをしたいのだ。小さな登り坂の片側を小川がソッと流れていたり。今ならコスモスや名残の凌霄花(のうぜんかずら)が少し寂しげだったりする。

 坂はいつも同じではない。季節によって表情が変わるのはもちろん。登り方によっても変化するのだ。忘れられないのは藤沢周平の名作の「蝉しぐれ」。小説はもとよりテレビドラマや映画でもそうであった。主人公の牧文四郎が父の遺骸を荷車にのせて暑い夏に坂道を汗だくでのぼる。逆戻りするなかを、おふくが駆けつけ二人で荷車を轢(ひ)く。この時、想った。何とむごい坂道だろう。それでも坂のせいではなく人生の重さのせいだ。坂も一緒になって歯を喰いしばっていたに違いないと。時には辛い時もある。ある日坂も感情を露(あらわ)にする。人それぞれの坂がある。独(ひとり)で続けてきた私の「坂を楽しむ会」に先(せん)だって入会者が一人あった。だから坂は楽しい。