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第一経理ニュース

随想

名君 吉良の悲劇

 

スタビライザー株式会社 代表取締役 阿部 敏夫 

 

 吉良上野介は名君である。十二月になると吉良の哀しみを想い胸が痛む。

 もちろん大石内蔵助は好きである。それ以上に吉良の仕事を評価したい。

 今も昔も予測もしなかった事件は起る。元禄一四年(一七〇一)三月一四日、朝十時頃江戸城は松の廊下で赤穂藩主、浅野内匠頭長矩が勅使・院使の指導員、高家筆頭の吉良上野介義央に背後から小さ刀で斬りつける。振り向くところを頭上から、もうひと太刀。結果は誰もが知っている。

 当時、現在同様のマスコミがあれば翌日、浅野が吉良に切りつけ吉良は大怪我を負い逃げのびて一命はとりとめた模様。次の報道は加害者の動機と被害者の現状報告となるだろうか。浅野は事件当日、詳細な取り調べもなく切腹による死刑。

 事実はこれで終わりの筈だ。だがそれでは終わらなかった。世間が承知しない。世論というやつである。

 大石は考えた。城の明け渡しは止むを得ない。殿がもう少し短慮を押さえてくれたなら。三百余名の家臣をどうすればいいのだろう。国家老としては責任をまぬがれない。それならいっそ筋道の通った報復をするしかない。時の政権は五代将軍徳川綱吉である。五万三千石余りのわが殿を審理も碌にせず即日切腹とは余りにも公正さを欠く。喧嘩なら両成敗。

 これを理由に出来ないか。曲折を経て大石も面白いことを行なう。浅野家再興のため真言宗大僧正の護持院隆光に嘆願する。口利きを頼んだのだ。この時の謝礼と言うのかワイロが百両。これでは少ない交際接待費だと隆光は何もしない。

 浅野の謝礼、鰹節二本で赤穂藩を失い、百両で再興したい矛盾を笑ってはなるまい。そのようなリーダーをもった不運と言うべきか。

 私の忠臣蔵テロ集団論はここからである。大石は識っていたに違いない。仇討ちは被害者の吉良の方に理のあることを。加害者側が死んでいない相手を再度殺害をはかるのは法に照らしても許されないことを。本来なら裁判所の裁判官、或いは検事役を襲うとすれば合理性は保たれる。それでは政権に楯つくとこになる。非を承知で吉良を道連れにしたのだ。

 調べていくと千坂兵部の時代は終り上杉米沢藩の江戸家老は色部又四郎である。柳沢吉保と図り何とか吉良の安全に知恵を絞る。考えてみれば解る。大石内蔵助以下が義士と言われて今に支持されるのは噂のせいである。

 指導員、吉良が意地悪をした。ワイロを要求した。塩の製法を教えろと迫った。おおよそこの三点にしぼられる。だから浅野は斬りつけた。吉良は死なない。逆に浅野は切腹による死刑。すると逆恨みをした大石以下は一年十ヶ月の準備をして元禄一五年一二月一四日夜半、完全武装で吉良家を襲い殺害する。この事実を現代に置きかえたらどうだろうか。大石側の理由は全て噂で証拠はない。今の世論は支持するだろうか。冤罪と言って大弁護士団が結成されるだろう。それ程、大石以下の行動は正当性を欠く。これをテロと言わずして何と言うのだろう。

 名君、吉良はさぞ無念であったろう。自分の指導に手落ちがあったのだろうか。

 兵庫県赤穂藩に行けば地元での評価は、事実と違って圧倒的である。愛知県吉良の地元も又然り。吉良の実子が養子に入った米沢上杉藩は江戸家老、色部又四郎の努力により無傷で明治まで藩は続く。江戸家老の優劣の差が運命を分けた。

 昭和二十年の終戦まで米沢市では映画の上映や芝居も忠臣蔵関連のものは一切、行われなかった。吉良が悪役にされたせいである。

 三年前にこの覧で「哀しみの吉良」を書いたときに、いつも随想を楽しみに読んでいます。但し忠臣蔵だけは悪口を許せない。大石内蔵助が悪い訳はないと女性の読者の方からお便りをいただいた。今回も又叱られるかも知れない。じつのところ歴史の事実と関係なく私も又忠臣蔵は大好きなのである。