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第一経理ニュース

我が社の原点

「凡事徹底」を心掛け、「地域一番」を目指し続けて 

 

 

 

 

 

 

株式会社 ヨネザワ
代表取締役 米澤 和宜 (かずよし) 氏

  

 足立区平野で有名な、オリジナルの建具の製造をメインに営まれている株式会社 ヨネザワさん。地域で有名な社長にお話を伺いました。まさに古き良き時代の男です!

 

 

聞き手 : 池袋本店第二 大澤 一弘

 

  生活が厳しかった先代の時代

 

―先代から引き継がれたとの事でしたが、どのような経緯で家業を継がれることとなったのでしょうか?

 

米澤  先代(父)の実家が建具業を営んでいましたが、昭和35年に先代がそこから独立するという形で始めたのが我が社の始まりです。私が生まれて間もない頃です。
 父はいわゆる職人気質。「仕事が無いならないで仕方がない」という考え方だったため、仕事が全くない時期もありました。仲間の面倒見が良く、世話焼き。そして良く騙されたりもしていました。
 当時は本当に貧しく、トタンぶきの6畳の家に家族5人で暮らしていました。私は押入れで寝て、姉2人は玄関をつぶして畳を敷いて寝ていました。好景気でも良い思いはできず、不景気ではまさにどん底。実際、給食費も払えないぐらいでした。お弁当もおかずがありませんでした。ついには工場の機械に赤紙が貼られたりしていました。人前で金計算をするような父ではありませんでした。しかし私は気づいていました。父がよく布団をかぶってそろばんを弾いていることを。おそらく見せたくなかったのでしょう。両親の口癖は「貧乏はイヤだよね」でした。
 貧しかったこともあり、休みの日には仕事を手伝っていました。右も左もわからないまま、18歳頃から本格的に働くようになり、20歳で実質的に代表としてがむしゃらに働くようになりました。先代は喘息持ちで、私が学校から帰ってきても苦しそうに寝ている思い出ばかりでした。「自分がやらなきゃ!」という思いはそこから生れてきたんだと思います。
 初めは名刺も持たず、と言うか名刺自体を作っていないまま近所にどんどん飛び込み営業をしました。全然仕事にはつながりませんでしたが、「何くそ根性」、「ハングリー精神」でがむしゃらに仕事を続けました。何としても勝ち組になりたいって思っていました。

 

―会社は現在28期に入りました。会社組織にしたのは?

 

社屋 全景

米澤  丁度、自分が結婚し、2年ほど経った頃だったかと思います。職人の世界とはいえ、商売ですから見栄は必要です。これからの時代、職人の技術や心意気は持ち続けなくてはならないと思いますが、やはり商売として成り立たせていくことが大事です。若い頃、相手に悪気はないんでしょうけど、付き合いのある工務店から「建具屋さんは小さいからいいよね~」と言われたりするたびに「いつか見てろ!」という思いをしました。実際に個人よりも信頼を得られましたし、従業員も安心させられます。それで「有限会社 米澤建具店」を設立しました。
 建具屋は殆どが機械の上に図面を広げて打合せをするようなところが多いと思いますが、そういう部分においても今までの建具屋の常識を打ち破りたいと思っていました。だから、最初は自宅兼作業場の片隅に机一つ椅子一つ。次に机を二つ。その後2階を事務所に。そして平成15年3月に現在の社屋を建築しました。お客さんを応接間に通したい、そこで打合せがしたいと思っていました。

 

―そして6年前には株式会社に生まれ変わりました。

 

米澤  それは自分の夢というか目標の一つでした。第一経理さんからも「これからは有限会社も株式会社もあまり変わらなくなりますよ。そのうち、むしろ有限会社の方が長年やっているイメージがあったり、ちゃんと資本金を積んでいることの証になりますよ」なんて言われたりしたのですが、やはり自分の中に「有限会社」より「株式会社」の方が格上のような気がしてて…。これは見栄ですね。それと社名も「米澤建具店」から「ヨネザワ」に変えました。「建具店」という名称をなくすことは先代から続くものですし、ものすごく悩みましたが、「建具店」という名称でいることによって受けられる仕事を逃すことが結構あったんです。「米澤さんってリフォームもできたんだ?建具店ってあるから建具だけだと思ってたよ。」なんてことが。「建具屋でもここまでできる」という会社にしたいと思っています。

 

 

凡事徹底を胸に

 

―仕事をする上で心掛けていることは?

 

米澤  一言で言えば「素直」なのでしょうか。仕入先であれ、得意先であろうとも、また地域においてもダメなことはダメとはっきり言います。また、「凡事徹底」。当たり前のことを当たり前にやり、小さなことでも手抜きせず、積み重ねていく。今の世の中、「ダメなことをダメ」と言ったり、「当たり前のことを当たり前にやる」ということが、必ずしも良しとされない場面もあるかもしれませんが、やはり黙っていられない。いつも自分がやれることは何かないかと探していますし、常に一歩踏み出していたいと思っています。
 私は現場主義です。いつまでも現場に出て、誰にも負けないでいたいと思っています。働いている人の気持ちがわからないとダメだと思うのです。今でも職人達と一緒にいることが多いですね。
 自分が入って行ったら会話が止まっちゃう感じでなく「何何何?」って会話に入っていける状況をいつまでも作っておきたいと思っています。本当に会話止まっちゃったら悲しいけど…。

 

―現場から離れすぎちゃって経営が「机上の空論」のようになっちゃうケースもありますから、いつまでも現場を忘れないという社長の姿勢が従業員を引き付けるのではないでしょうか?

 

米澤  でも、現場を忘れないとは言っても、やりすぎちゃいけないと思っています。何だかんだ自分も朝一番早く来て、現場にも顔を出しますが、仕事に関しては従業員を信頼して完全に任せています。
 昔、自分が若い頃に、見積りに目を通してくれない工務店の社長がいました。その社長に「社長、見積りに目を通してください」とお願いしたところ、「お前のことを信頼しているから見積りなんか見る必要はない」と言われ涙が出るほど嬉しい思いをしたことがあります。
 若い自分のことを信頼して貰えたことが嬉しかったのもそうですが、それ以上に仕事に対する責任として「下手な仕事はできない」という思いが芽生えました。
 従業員にも同じ思いをして貰いたいと思っています。そして、そんな私についてきてくれる従業員は宝だと思っています。うちは本当に従業員に恵まれている。みんな真面目に働いてくれています。
 だから従業員には恥ずかしくない給料を出したいと思っています。社会保険導入の時も、手取りが減ることを考えて給料を増やしました。賞与、退職金も出すようにしています。

 

―営業論を教えてください。

 

米澤  実は営業らしい営業はしていないんです。というか、わからない。かつてしたことは地域にチラシをポスティングしたりしました。あと、業界としては数少ないかもしれませんが、メーカーのカタログを自社名で作りました。これについては業者間で提案したのですが、同意してくれたのは1社だけでした。ですが、そこも一歩踏み出そうと、実行しました。
 また、それなりの店構えをしていないと誰も頼まないと思うので、人が入りやすいように間口を広くし、地域の人に知ってもらおうとショーウィンドウも設けました。
 営業というよりも、自分のスタイルとしては、フットワークが軽いと自覚しています。何でも依頼は受けてしまう。「何とかなる、何とかする」というように考えられる自信と、「何とかしなきゃいけない」という覚悟も生まれてきます。私はむしろ断ることが一番勇気がいることだと思います。依頼してくれるということは、相手は困っている時ですよね。相手の立場になって考えると断ることはできない。「自分は何かできないか?」と思います。

建具だけでなくエクステリアもやります!


 そのスタイルのせいか、アルミ、襖、木工事と何でも手がけることに始まったため、そのうち「ペンキを塗ってほしいんだけど…」「バルコニーをつけてほしいんだけど…」と建具以外のリフォームなど、色々な相談をされるようになり今に至りました。

 

 

 

人との繋がり、地域での繋がり

 

―地域でも色々な関わりをしていると伺いました。

 

米澤  どんな集まりでも顔を出します。人との出会いは財産ですから。消防団も30年ずっと続けていますし、色々やりました。法人会の役員をやったり、得意先の安全協力会の会長もやりました。祭りの時の町会の会長もやりましたね。昨年からは第一経理さんの一・一会の世話人も・・・。頼まれたら断りません。
 また、自分を知ってほしいということもあります。事務所をガラスの引き戸にしたのも人が入りやすいように、ということもありますが、逆に外から中が見えるということも意識しました。「あぁ、米澤さんかぁ。知らなかったなぁ。」と言われることが嫌だったんです。その無名感が許せなかった。地域で知られるようになりたい。道案内の際に「ヨネザワさんの角を曲がって…」とか、目印のように言われるようになりたいと思っています。単に見栄っ張りなんでしょうか。
 実際にはこんなことがありました。倒れている人をAEDで救出し、表彰いただいたり、ガードレールの中を歩かない子供に「危ないぞ~、ガードレールの中に入れ~!」と注意しても聞かないので、近所の小学校の校長に会いに行ったり、お節介かもしれませんが地域と関わってきました。笑い話ですが、白バイが止まっているのを見て、「何かあったんですか?」と尋ねると「ここは一方通行だからあんたもそこに待ってなさい!」と言われてしまうこともありました。恥ずかしいことに自分自身がその道が一方通行だと気づいていなかったのです…。

 

 

5ヶ年計画・これからの展望

 

―同じ現場の見積もりがいくつかの工務店から来るほど地域でも名が知れる、言うなれば地域一番店になったヨネザワさんですが、今後の目標は?

 

米澤  もう一つ波紋を拡げたい。今まで以上にプラスアルファを増やしていきたいと思っています。例えば同じ業界にも建具を売ることはできないか?また、まだまだ自分に不得意なところがあるので、そこを補える人材に出会いたいとか…。ただ拡げるといっても、あくまでも自分の目の届く範囲で考えています。
 今までの人生で常に5年ごとの目標を作ってきました。自宅を建てるときも、事務所を作っていくときも、会社組織を変更するときも、社屋を建てたときも…。5年を1期間と考えて、目標に向かい、達成してきました。経営者である以上、夢を持っていないと従業員もついてきてくれないと思います。「うちの社長は前向きで…」と思わせたいですね。
 そのついてきてくれる従業員を大切にしながら、今後もお客様のため、地域のために「何かできることはないか」を1つでも多く実現できるようにしていきたいと思います。

 

 

 あとがき

  最後に「人間は考える生き物だから楽しい。考えることで一歩進むことができる。」と語っていた米澤社長。常に前向きな新しい発想と何事にも感謝の気持ちを忘れないその心が周りの人を魅了し、繋がりが拡がっていくのを感じました。「時代時代でよい人に恵まれ、人との出会いを大事にしてきたことが現在のヨネザワを作ってきてくれたのだと思います。」という言葉にも社長のお人柄が表れていると思いました。

 (大澤 一弘)

 

椿山荘 五慶庵

 

 

 

 

株式会社 ヨネザワ

住所 東京都足立区平野1ー25ー7
TEL 03ー3883ー2317
FAX 03ー3858ー6061
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