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第一経理ニュース

我が社の原点

私たちに求められているものは最新の技術!
~親子でつなぐ30年~

 

 


株式会社 岡田電気

代表取締役 岡田 圭介 (けいすけ) 氏
取締役会長 岡田 保政 (やすまさ) 氏

 

 

東京の上野で電気工事を営んでいる株式会社 岡田電気さん。来年で30期を迎えます。今回は社長の圭介氏と会長の保政氏にお話しを伺いました。

 

聞き手:埼玉事務所 森田 民歩

 

 

最先端の楽しさ

―まずは社長より現在のお仕事の内容についてお聞かせください。

 

社長 : はい。弊社は、電気工事を手掛ける会社です。事務所の電話・LAN、電源工事から、スーパーコンピューター(以下、スパコン)の導入など、電気工事といっても内容は様々です。

―なるほど。では、様々な電気工事のなかでも、特に印象深かった工事について教えて下さい。

スパコンを語る社長

社長 : 最近面白かったのは、スパコンです。スパコン自体は既に完成しているので、弊社では架台といって機械を乗せる鉄の塊を設置します。アルミパネルとの空間に、電気や通信ケーブルを流していくのです。
先日、地元新聞の一面にも載りましたが、岩手県奥州市にある国立天文台の水沢天文所に、2.5トンもの巨大なスパコンを8台設置しました。
電子望遠鏡は何光年も先で起こった膨大な量のデータを解析する必要があります。水沢天文所のスパコンは、3年後には1.5倍、最終的には40倍の処理能力になる計画です。その時に、そして、今後も、その最新技術を支えていける会社でありたいと思っています。
2011年12月のことです。
「ヒッグス粒子」という新素粒子が発見されたニュースがありました。各国のチームが研究をしていたのですが、その日本チームが使っていたスパコンは、以前、弊社で設置したものだったのです。これをNHKのニュースで見たときは感動しました。
建設業の方がビルを見て「このビルは私がつくったんだ」と言いますが、それと同じ気持ちだと思います。私は常にそういうものを見つけながら仕事を楽しんでいます。仕事といえども、楽しみは必要だと思うのです。スパコンに携わっていると、おのずと「ヒッグス粒子」の様な面白いものに出会えたりするのです。

 

「小僧」からの第一歩

―では、次は会長にお話しを伺います。岡田会長が電気工事業を始めたきっかけを教えてください。

 

会長 : 私は小僧の頃からこの世界に入りました。遠縁の紹介で墨田区にあった工業所で、昭和33年14歳の夏から働き始めました。そこは親方一人の会社でしたので、私は、飯炊き、風呂焚き、自転車磨き、全てをこなしながらモーター関係の仕事を覚えました。墨田区は町工場が沢山あるので、その関連の電気工事をやりながら、モーター再生、内線工事をしていました。
結局そこに12年いたのですが、最後の5年間くらいは主に自動車会社や鉄鋼会社のプラント、飼料プラントの電気工事をする様になっていました。

―ずいぶん今とは違ったお仕事ですね。

 

会長 : はい。そして、見積りから仕事まで全て私がやれるようになった頃の事です。その頃、工業所の親方と金額面で合わなくなってきました。「私の見積りより親方が出す請求金額がかなり高い」というやり取りがお客様との間で何度かありました。そのうちに、元請さんから「自分で会社つくってはどうか」と勧められて独立して電気屋を始めることになったのです。それが、昭和45年の事です。でもサラリーマンだったので、お金がない。妻の姉からお金を借りて、車1台買ってのスタートでした。

 

会社の転機

会長 : 少しずつ売上が上がって、銀行の勧めで会社にしたのが、昭和59年の事です。その頃は、ちょうどコンピュータの創世記でした。
「一生面倒をみるから、うちの会社の仕事をやってくれないか?」
と、今の得意先が私のところに相談にきたのです。しかも材料持ちという好条件。その得意先がIBMの仕事を受注していたので、次第に、私達も全国に行くようになりました。大手化粧品会社の仕事のときなどは東北から四国、九州まで、配送・配車管理をするためのコンピュータを各営業拠点に設置していきました。

社長 : 40年前ですからパソコン自体がまだ一般的ではなかったですね。コンピュータというと大型の機械、汎用機といわれるものしかなかった時代です。現在はこんなに小さいパソコンでできることを昔は各企業が一つの部屋一杯にコンピュータを設置して対応していました。

 

お手伝いから… キャリアは30年

―では、社長の電気工事との出会いはいつ頃ですか?

施行中の様子

社長 : ちょうどその頃から、私は現場に遊びに行っていました。当時、小学校2年生ぐらいでしたね。そのうち手伝いをするようになって、中学生になると夏休みの一ヶ月はほとんど毎日。だからもう業界キャリア30年以上ということになりますね。

会長 : 「来るか?」と聞いたら、「行く!」と言うので。

社長 : 高校を卒業し、2年制の電気関係の専門学校に入りました。1年生のときに電気工事士の二種を取って、2年生で一種を取りました。卒業してから一度違う会社に3年間就職しました。

―その3年間は、岡田電気さんに入る前の準備期間だったのですか。

社長 : 一応そうでしょうね。会長が「外の空気を吸って来い!」と。私は5年ぐらいやりたいなと思ったのですが、会社が忙しくなったので、3年で辞めることになりました。

会長 : 親としては一回、社会を見せたいと思ったので、息子が探してきた会社に行かせました。本人はその会社がとても気に入っていて、もう少し勤めていたかった様でしたが…。

社長 : その会社は外線工事と内線工事がありました。外線は鉄塔、高圧ケーブルの工事が専門。内線は、建築現場、ビルを建てるときの電気工事です。そこでは図面を引いたり、施工の仕方を学んだり、管理の仕方等もやらせてもらいました。弊社に入る前にワンクッションあったおかげで建築関係の電気を知る機会があって、本当に良かったと思っています。

 

入社したのにすぐ出向

―晴れて入社されたのですが、また、すぐに出向されていますよね。

会長 : あるとき得意先から「うちの会社の営業を担当させたいので息子を出向社員として出してくれ」と依頼を受けました。「息子がとった仕事は岡田電気に全部出すから」と。電気のことを基本から知っていて、周辺業務のこともよく知っている、そういう営業がその会社にはいなかった様です。

社長 : 出向期間はその会社の名刺をもらって、営業と施工管理の仕事をしていました。出向したことにより、現在のお客様との信頼関係をより強固なものにすることができました。ちなみに、妻と結婚できたのもこの出向のおかげです。

 

事業承継の決断

―出向を解かれて6年程で事業承継ということになりましたが。

 

社長 : 出向期間の3年間はいないのと同じですから、本格的に岡田電気に入ったのはつい最近です。私が社長になって4年がたちました。
会長が「早いタイミングで代わった方が良い。後はサポートするから。」という心強い言葉で決断しました。
やってみないと分からない事ってあると思います。私からすれば、会長はいてくれるだけで十分です。お客様との接し方など、様々なアドバイスをもらうこともできるし、私としては早めに引き継いでよかったと思います。

会長 : 自分は「譲ろう」と思うと同時に、昔の友人にまでも仕事を下さいと言って回りました。「息子が継ぐのなら今の得意先だけじゃダメだ、もっと営業に力を入れないといけない」と思いました。たまたまその中に、以前の元請にいた人で会社を起こされていた方がいました。その方を通じて得意先を拡大していきました。

 

 

会長・社長ご夫妻

会長 : 頭で思うのと実際経営するのとは違います。経営権をもたせるのは責任を持たせることです。社長というのは人から好かれないとダメなのです。社員があっての会社ですから。お客さんに褒められる会社にしていきたい、良い仕事をしていきたい、と考えるのであれば、社員を愛さないとダメです。その為に、社長を譲ったからには自分は常駐しないできっぱり任せた方が良いと思いました。銀行との借入交渉や資金繰りについても、その苦しさがわからないといけませんから今では全て任せています。

 

 

 

「動けるうちに譲る」

会長 : この言葉は妻が同窓会で友人に言われたことです。確かに自分が動ける今なら営業面でも、資金面でも援助ができます。
中小企業にとっては景気の悪い時期が続きますが、悪いからこそ経営権を譲る良い時期ではないかと思いました。楽なときに渡してしまうと「経営なんてこんなものか」と思ってしまう。苦しいときに渡した方が人に対しての説得力がつく。自分から頭も下げられる。出向先の後輩にも頭下げなければ仕事がいただけませんからね。

 

新社長の挑戦

 

―新社長になって、冒頭のスパコンももちろん、新たな工事にも挑戦されていますよね。

 

 

社長 : 最近の大きな工事として、東海道新幹線のトンネル内を携帯電話利用可能エリアにする工事をさせて頂きました。携帯電話基地局を設置する工事です。
弊社にとって基礎工事からやるのは初めての挑戦でした。
ガード脇5メートル以内では、新幹線が走っていない時間でしかクレーンを使用できませんでした。さらに、深夜2時から5時の間という時間制限が設けられていました。今までは、主に内線工事が中心で、外での工事はほとんど経験したことがありませんでした。土木工事が初めての人が多い中、クレーンを使う時間が夜中、真っ暗な中なので苦労もありました。
そして、この工事の特徴として、新幹線の安全運転が優先されます。その為の制約もありました。敷地内での立ち入り時には、管制塔へ許可をとります。工事関係者が見えない様に目隠しをして作業にあたります。管制塔に知らせがなく、敷地内に人が入り作業をしていると、新幹線の運転手が人を確認したと同時に新幹線を止めてしまうおそれがあるからです。着工前から、新幹線を止めてしまうと、関係工事も含め他の工事も中止になり大変なことになると何度も言われていました。

JRの工事の様子

また、特殊事情もありました。JR東日本の敷地内には、JR東海が借用している土地があります。その為、工事許可を両方に提出するなどの配慮も必要でした。
今回の工事は新しい経験となり、大変勉強になる工事でした。今後の新しい工事受注にもつながる案件だったと思います。

―まだまだ新たな挑戦ができそうですね。そして、来年は30期を迎えます。

 

社長 : 私達に求められているものは技術面が大きいと思います。「こういう時はどうしたらいいのか」「困ったときはこの業者に聞けばわかる」ということになれば、今後のお客様との信頼関係も深まるのではないでしょうか。
また、この業界で危惧しているのは、熟練の職人が少なくなってきていることです。
ただ金額が安いだけで発注していては、技術の承継も廃れてしまうのではないかと思えてなりません。一度技術が廃れると、おそらく復活するまでに何十年もかかるでしょう。
ですから、弊社は、今後も新しい技術を取り入れて仕事をしていきたいと思っています。

 

―今日はお忙しい中、ありがとうございました。

 

「真の事業承継とはなにか」。お二人の姿から、そのヒントを見つけました。
インターネットはもちろんのこと、コンピュータがない時代から、電気工事を始めた会長。その基盤、土台があってこその技術の応用。真の事業承継とは、「経営権を譲ること」のみでなく、「その技術をも受け継いでいくこと」だと実感しました。

(森田 民歩)