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第一経理ニュース

我が社の原点

 

浅草の〝靴のめぐみ祭り市〟で地場産業をもりあげる。

 

 

 

 

 

サンダー商事 株式会社
取締役会長 轟 豊蔵 (とどろき とよぞう) 氏

 

 今回は台東区で靴製造業のサンダー商事株式会社の会長 轟様に、地場産業起こしをテーマにお話しをお伺いしました。

 

聞き手 : 池袋事務所 御影池 秀夫 
三浦 浩樹 

  

■ 靴業界へ

 

―創業の頃のお話を聞かせてください。

 

 昭和32年、16歳のときに福島県伊達郡川俣町から、集団就職で上京しました。兄の一人が映画関係の会社でコック長をやっていて、現像会社を紹介してくれました。そこで約3年、フィルムの現像やプリントの引き伸ばしの仕事をやりました。
 ところが、その兄が大怪我をして収入源を失い、私は写真関係をあきらめ、靴職人だった別の兄2人を頼り、靴業界に入ったのです。
 靴のことは何も知りませんでした。とにかく腕を磨こうと、ミシンを買い、仕事が終わってから、製甲(革靴の踵より上の部分…アッパ―ともいう)を作る技術を覚えるために、かなりがんばりました。昭和35年、19歳のころです。

 

■ 自転車での行商

 

 昭和40年、24歳のとき、たまたま同じアパートに靴の底づけの職人が住んでいました。私が作った甲に底付けをしてもらい、私と家内が仕上げをして、できた靴を自転車に積み込み、浅草、花川戸界隈を売り歩きました。
 一点か二点、違うサンプルをつくり、納めながら同時に、セールスもしていました。
 暑い日も寒い日も関係ありませんでした。6月ごろ開業しましたから、特に雨の日が大変でした。靴を傷つけないように5足単位で紙紐で縛り、売り歩いていました。
 せっかく来たから買ってあげようという人情ある方もおられて、納めさせていただいたこともありました。
 何件かまわるうちに、徐々に注文が増えてきました。これが今の仕事の始まりです。

 

■ 一本立ち

 

 この行商の2、3年のあいだに、かなり規模が大きくなったんです。最初は一カ月に5足か10足しかつくれなかったのが、一年後には一日に20~30足。月に300~500足くらい作れるようになりました。売上が二桁くらい違ってきました。
 一年後には完全に一本立ちできました。商売を始めて3年経った26~27歳の頃には、自転車では積みきれない程注文がありました。職人さんも2人ぐらいになっていました。
 自分ではセンスがあるのか、わかりませんが、若い頃ですから、色、素材の選び方、底材のつくりかたまで、ちょっと人とは違っていたのでしょうね。とんとん拍子に、倍々どころではない勢いで伸びたのです。

 

  

■ 最初のヒット商品

 

 商売を始めて3年目に「ノボ」という型押しをした靴をつくりました。革に凸凹の型押しをしたものです。よそではそれを使っていませんでした。
 色にもこだわりました。すると、柄がおもしろく、色が良いと評判で、飛ぶように売れました。
 40年も前の話で、カジュアルなんて流行っていない時代です。ちょっとカジュアルっぽく、ビジネスよりも柔らかい感じの商品で。踵も、普通より1センチ高い。普通の高さは30ミリから35ミリですが、私は45ミリにしました。生産は毎年、3割~5割増えていきました。それが3、4年続きました。

 

■ パンタロンシューズ

 

―パンタロンシューズもかなりヒットしたそうですね。

 

 その頃、どこからとなく、踵の高い靴をつくったら流行る、という話が聞こえてきました。じゃあ、パンタロンに合う靴をということで、6センチ、8センチ、10センチの踵の高さのパンタロンシューズをつくったのです。開業して6、7年目の頃です。それが大ヒットで。一世を風靡させていただきましたね。
 とにかく全国のお客さんが買いに来ました。現金を置いていく人、展示会にきて、注文するからサンプルを送ってくださいという人。「片足でいいからサンプルを送ってくれ」と。今から考えると身震いするほど贅沢な話ですね。
 新聞でも取り上げられ、各方面の方々がインタビューに来られまして、たくさん記事に載りました。テレビ番組のスポンサーになったこともあります。

 

■ 靴祭りを立ち上げる

 

―靴祭りの立ち上げにも尽力したと聞きました。

 

 このころ浅草の靴のめぐみ祭り市を立ち上げました。今年で39回目になります。(ホームページに載っています)
 きっかけは、玉姫神社の宮司さんでした。すばらしいアイデアマンで、電通に勤めていました。その当時はまだ、親父さんが宮司をやっていたので、宮司の資格はありながら、宮司職をやらないで、電通の企画をやっていた。電通一社で銀座に店を構えている企画屋さんでした。彼は、「靴業界でも在庫があるだろう。俺はカレンダーを扱っているけど、売れ残ったものはある時期をすぎるとただのゴミになってしまう。でもその前に安く売れる。カレンダーでもそうだから靴もそうだろう」と言っていました。
 当時、神社の近くは泪橋があり山谷に無職の人がいて、人の寄り付かない寂しいところでした。そこで業界の人が集まってバーゲンをやらないか、と話が出ました。周りがにぎやかになるし神社もにぎやかになる。みんなも在庫がはけていいだろうと。
 私はメーカーによびかけて飛び回りました。

 

■ 最初の靴祭りは雨

 

 11月23日、勤労感謝の日。この日は農民が豊作を祝って、氏神様にお供えをする新嘗祭の日です。これにちなんで、靴も一年間、無事に商売ができたことを感謝して、この日にやることにしました。
 39年前のその日は雨が大降りで、出展は10数社。NHKが放映したので、雨の中でもたくさんの人出になりました。
 最初は、どうせ売れないだろうと担当者を1人だけ出していたのですが、食事も取る暇がないほどの売れ行きで、持って行った商品はすぐ空になった。
 同じ日、新仲見世に小売店を出店しました。私はどうせ神社のほうは駄目だろうと思って、そちらの店舗にいました。気になって、会社に電話を入れたら、神社の担当者からは連絡がない。現場を見に行かせたら、「大変なことになっている。人がごった返して、担当は握り飯を食べながら接客しています」と言う。商品を補充がてら応援に2人行かせました。すると、またすぐ在庫がなくなり、応援部隊も5、6人までになり、雨の中、対応しました。大売れに売れました。

 

■ 靴祭りで地場産業を育成する

 

靴のめぐみ祭り

 浅草靴祭りは現在35、6社ぐらい参加しています。正規ではない便乗組もいれると50軒以上あります。便乗組は無断でやっています。止めようがないのです。そのうち、一緒にやるようになれば、もっと靴祭りを有名にすることができるでしょう。
 私たち中小企業一社ではできることが限られています。でも20社、30社、40社と団結することで思い切ったことができる。意見がいろいろいただける。資金が集まる。社数が集まることによって宣伝もできる。我々が製造業者として、思い切ったことができると業界が活性化します。

 

■ リーダーシップ

 

 しかし反面、その中でリーダーシップをとるのは大変です。
 靴祭りに参加するのはみんな経営者。能力はあるのです。ところが冒険したがらない。バッシングされても冒険するという人はほとんどいません。
 みんな堅実ですが、堅実は滅びるのですよ。足踏みしているのですから。守るだけで維持できれば、いいですが、新しいことを時代に先駆けて挑戦しないと、会の規模を大きく発展することが出来ない。
 私はどういうわけか、そういう闘争心をもって生まれたようです。
 ですから、反対の意見があったら、「いやだったらいいよ」、と言ってしまう。私は諦めが早いのです。これがなかったら人にもっと好かれるはずです。私の周りは、半分が味方で半分が敵になっちゃう。「いやだったらよしなさい、やる人だけこっちに来て、この指に止まって」というタイプなのです。
 ぶつぶつ言う人もみんながやりだすと次第についてきます。「やるならやろう」と呼びかけます。意見はひとつのほうがよい。意見はいろいろあっても、反対されるほうはつらい。
 色々な意見があっても20数年、束ねてきました。結果を出してきたから仲間がついてきました。

 

■ 神輿のアイデア

 

 たとえば、御神輿をつくると500万かかる。「そんなことやって効果があるんですか?」、「無駄じゃないですか?」、と言われました。しかし今は大きく成功し、靴祭りの目玉になっています。男神輿は7、8年前に作りました。
 デザインは新聞で記者発表して公募しました。
 アイデアは無数にあります。
 私は業界の話題性のあることをやってきました。自社に実益のあることだけをやれば会社ももっと大きくなれたのですけど、業界の発展を優先してきました。
 みんなが反対しても、先をみて自分がよいと思ったことは、百の意見を無視してもやってきました。百の意見以上によい結果が出ています。

 

■ ギネスに挑戦

 

左から、会長、社長(長男)、専務(次男)

 今度39回目には、ギネスに挑戦しようと思っています。地元のアサヒ会商店街活性化を主題にして、靴のめぐみ祭り市が靴磨きギネス世界一になろうということで計画が進んでいます。約500人。
 靴磨きだから誰でも参加できます。お客さんでもいいし、自分で自分の靴を磨いてもいい。ギネスに載っているのは471名。それ以上達成すればギネスに載ります。その目的は地元のアサヒ商店街さんや地域活性化につなげていきたい。靴を磨くことによって、心も磨き、磨いた心は出世につながる、マナーがよくなります。同時に靴業界の発展活性化につながる。
 やり方はこれから企画します。ギネスが来て、カウントしやすい状態をつくって、500人やっていると一目でわかるようなやり方をする。ギネス世界一実行委員会をつくってやっています。靴のめぐみ祭り市は大変ですが、いろいろな企画をやっているのです。

 

■ ベストドレッサー

 

 そのほかには、シューズベストドレッサーもやります。今年で六回目です。日本の芸能界、著名人で一番婦人靴の似合う人、紳士靴の似合う人、シニア(用)の靴が似合う人の3人を選びます。ギネスに載ったらNHKや民放・各新聞が来るかもしれない。昨年のシューズベストドレッサーの時は60名の記者団が来ました。
 昨年は、野口五郎さんが選ばれました。今回は若手では杉浦太陽さんが内定しています。

 

 

■ これからの靴祭り

 

―今後、会長が考える展開や課題を教えてください。

 

 地域の祭りでいいのか、全国の祭りにしていきたいのか。これは課題です。例えば隅田川花火大会などは全国的に有名ですね。竿灯まつりとか、阿波踊りなどは、地域の祭りですが、全国的にも有名な祭りじゃないでしょうか。このめぐみ祭り市も、全国的に知名度を高めるようにしたほうがいいのか、地域の祭りでいいのか、私も悩んでいます。
 台東区の企画広報担当者など行政への働きかけによって、今後が変わってくる。あんまり大きくなると大変です。行政にいちいちお伺いをたてるようになってしまいます。今は行政から支援を少しだけいただいています。だから私たちの勝手にできる。行政がついてきている、というやり方です。
 われわれがどういうふうな目標にするか、われわれのスタンスを全国の祭りと決めれば、全国規模にもなる。39年間やってきて、こんなに話題があって、同じ規模でやっているのは珍しいと思うのです。まだ規模が小さいですが、もっと大きくしようと思えば大きくやれると思います。
 地場産業を建て直し、日本を元気にするためにも伝統産業の再生が必要です。

 

 

 今回は地場起こしをテーマに、浅草の靴のめぐみ祭り市についてお話をお聞きしました。その他、台東ファッションザッカ展の実行委員長も長く勤めてこられたそうです。これは台東区の靴、鞄、帽子、ベルト、革小物の各業界が製品PRのために集まり、若手デザイナーの育成のために、コンペを開催し、受賞作品の展示をしているそうです。
 
「中小企業が団結すれば思い切ったことができる」と、地域、業界、地場のためにリーダーシップをもって、さまざま実践してこられた姿勢はとても勉強になりました。

(御影池 秀夫)

 

≪ 靴のめぐみ祭り市 ≫

 

日時:平成25年11月23日・24日

場所:玉姫稲荷神社     台東区清川2―13―20  (03―3872―3411)

              JR南千住駅からバス 

              清川2丁目下車徒歩3分

              台東区循環バス「めぐりん」 

              清川1丁目下車徒歩3分