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第一経理ニュース

60周年記念特集

 

歴代代表が語る 第一経理の決断の時

 

 

 第2回目は、「歴代代表が語る決断の時」と題して、初代阿部國博、2代目河野先、3代目乾川日出夫3名に、それぞれの時代の「決断」について語っていただきました。

 

 

3つの信条を決めたことが事務所発展の礎

 

 

 

 

 

初代代表 阿部 國博
(在任1954年から1983年)

 

「第一経理」の由来

 

  昭和20年の敗戦後、経済復興の為と大企業は優遇税制の恩恵を受ける反面、中小企業は過酷な微税攻勢に苦しめられていた。その頃「われこそは中小業者納税者の権利を守る」と意気盛んな青年たちの集った会計事務所があった。都内台東区にある中央経理事務所である。その中央経理が北区民主商工会の要請に応え、昭和29年1月「分離発展第一号」として、北区に「第一経理」を創設した。分離発展とは中央経理の分身として独立の事務所を設けることに中央経理の吉田所長が付けた特別な呼称である。
 創立時の第一経理は所員5名、全員が20歳代、うち最年長の私が所長に選ばれた。事務所は5坪に満たない木造の一間。机は3個。一つの机を2人で使用した。でも中央経理から受継いた「中小業者納税者の力強い味方になろう」との使命感と意気に燃えていた。これが第一経理の創業の理念、志であった。

 

拡大したが分裂も

 

 その仕事ぶりが顧客先から信頼され、その紹介で顧問先がどんどんと増えた。創立当初事務所運営はすべて全員の協議で決めていた。だが新規採用者が増えた時点で、事務所の幹部を選び、管理運営上の決定と責任を委ねることになり、一方労働組合も結成された。
 創立以来、事務所は全所員の協力で民主的に運営する、いわゆる「民主経営」であると自認してきた。だが人員の増加に伴い「民主経営」を盾に各自が各様の要求を強く求めることが多くなり、その対応に幹部間の意見も混乱した。幹部の一人の税理士は「経営権の確立が必要」との意見を強く主張し、職員との間に不信が深まって行った。その税理士は昭和43年7月、経営問題についての長文の意見書を提出し、税理士1名職員2名と共に第一経理を去って行った。

 

3つの信条を定めた

 

 その衝撃は大きかった。資格者は私と河野さんだけになった。第一経理のあり方について、全社員で真剣な討議を重ね、昭和43年8月、次のことを確認し三つの信条を定めた。
 「民主経営」という考え方が内部に混乱を生む原因になったことを反省し、今後使用しないことにする。
 顧問先は、事務所内が団結してゆくことを願っている。職員も同じである。今後職員の中で資格者になる者も事務所の中で頑張ってゆく。
 経営幹部も労働組合員も一致して目指すべきものとして三つの信条を定める。

 
【 三つの信条 】

一、税制の民主化
二、納税者の権利擁護
三、顧問先の多面的な要求に応えられる事務所
 

 この三つの信条は、第一経理は個人の事務所ではない。構成員みんなの事務所であり、民主的な諸運動とりわけ、納税者の権利擁護に役立つ事務所になろうという創業の原点の確認である。この信条のもと経営幹部の責任と権限を明確にし、労使が協力して第一経理を発展させて行こうとの決意の表明でもある。
 この昭和43年8月の会議は、第一経理の歴史にとって、きわめて重要な意義をもつものであり、事務所のその後の順調な発展の礎石となったと思っている。

 

3つの信条から4つの経営理念へ

 3つの信条を定めた1968年以降、埼玉事務所開設等、事務所の拡大・発展が進み、30名余りから1990年代には、100名規模になりました。時代・世代も変わり、3つの信条について、全社討議を行ない、1994年4つの経営理念として改訂を行いました。3つの信条の基本的な考え方は踏襲し、「身近でかけがえないコンサルタント」「お互いに成長し、豊かさを創造する職場づくり」を加え4つの経理理念として、今日に至っています。

 

 

 

中期経営計画を作成、池袋移転

 

 

 

 

2代目代表 河野 先
(在任1983年から1997年)

 

中小企業家同友会での学び

 

 30周年で、初代阿部社長からのバトンタッチは緊張の日々でした。自らが、田辺経営一倉ゼミで学びましたが、実践的には中小企業家同友会での貪欲な学びと実践でした。
 中同協の田山謙堂氏の「コンサルでなく自らが模範的な会社に挑戦しなさい」の示唆は貴重な意見でした。労使関係の改善の中で、全社員参加型の経営として“三つの信条”から“四つの経営理念”に心意気と職場づくりに再構築し全体会議と理念研修を重視しました。

 

第一次中期経営計画(1986年)池袋移転

 

 従来の税理士事務所のあり方を「経常サポート業」と定義した企業づくりに向け、経営計画も単年度でなく中期経営計画の討議で全社員の納得と行動を描いたのです。
 1986年からの第一次中計、第二次中計では、これ迄の第一経理の歩みを検証し、税理士業界、中小企業の中での果たしてきたことを確認し、更に発展させています。次いで1985年のプラザ合意後の日本経済の激変、変調に当たり、<近未来ビジョン―2001年の第一経理>の討議で現状認識を深め、第三次へと継なげるのです。
 また、この時期、お客様の協和リペアさんに協力をいただき本社を北区十条から副都心の池袋へ移しました。
 労使の合意に時間をかけた“職能資格制度”の導入は、教育研修制度に役立ちました。税理士は関係する団体の海外研修の機会があるのですが、何とか全社員にその様な場を与えたいとして40周年には4班に分けた海外研修ができたことは、大変貴重な喜びでした。
 50年史に「共に歩む」と題した様に、現在の陣容の第一経理があるのは、関連する諸団体と地域のお陰だと思います。
 特に中小企業家同友会を通して、本当に多くの経営者に学ばせて頂いたこと、その縁で多くの人の紹介、援助があったことは感謝の限りです。

 

多角化ではなく、専門化・特化

 

 私の時代から多角化?したとの誤解と錯覚があるようですが、これらは飽くまで企業をより良く強くするために周辺に派生する業務を整理してきたものです。やはり税の問題では税目別、業種別に特化することによる優位性が重要です。
 勿論支えてくれている登記部、社保部、人材派遣部、リスクマネージメント部などと相携え佐久病院(長野)の様に地域、業界になくてはならない存在を指向したいのです。
 本業も成功できずに多角経営ができるはずがない。「自分の土俵」で相撲をとれとして「基本理念」に基づく大切さは、タカラの初代社長佐藤安太さんに教えられたものです。

 

中小企業家同友会

よい会社、よい経営者、よい経営環境創りをめざそうと1957年東京で組織された中小企業経営者の団体。現在は、全国47都道府県に組織され会員数現在4万5千人余。河野先は、全国組織の幹事長を歴任した。現在の役員も各地域の同友会に所属している。

 

 

オフコンからパソコン、3事業部体制の整備へ


 

 

 

 

3代目代表 乾川 日出夫
(在任1997年から2006年)

 

一億円の投資に悩んだ夏

 

 私が代表になった1997年の真夏のこと、熱い日照りのなか汗を拭いながら、当時の本部長、計算センター責任者らと一緒に、オフコン処理しているいくつかの計算センターを視察に行ったことを思い出します。
 第一経理の計算センターのコンピュータは2000年対応の移行のための、早急に買替の機種選定をしなければならない状況にありました。
 このセンター処理方式は20数年間も続いており、1974年のオフコンによる本格的処理が始まって以来さまざまな変遷を経てしっかりと定着していたのです。
 ところが今後も同じ方式で進めようとすれば、会計処理だけの単能機とはいえ一千社近い顧問先のデータを正確かつ迅速に処理することが求められるため、1億円を優に超える初期投資と、オフコンだけにオペレーションやプログラム管理のランニングコストも年間数千万円かかります。当時の状況からするとこれらの費用を負担することは大変厳しかったのです。そのためにいろいろな計算センターを見学させていただき検討していたのです。しかし打開策は見つかりませんでした。

 

パソコン時代の到来を教えられ

 

 いよいよ困り、白坂氏(第一経理の計算センターを立ち上げ、その後コンピュータ会社を経営)に相談を持ちかけました。白坂氏から「お魚を買わなければならないのに、肉屋ばかり回ってきたのではないか」「これからはパソコン処理の時代である」と言われました。その助言で進むべき方向がはっきりと見えてきたように思いました。
 役員会で検討を加え翌年春に、「①機能的にオフコンとパソコンの差がなくなってきている、②オフコンでは2000年対応やソフトの開発の費用を考えるとパソコンのほうが今後の変化に対応しやすい、③自計化など今後の業務改革の方向に一致する。」と判断し、センター処理から、各事務所でのパソコン処理にすることを決定しました。そしてその年の8月から10ヶ月かけてパソコン切替を完了したのです。2000年になる前にセンター処理方式は25年にわたる役割を終えたのでした。

 

消費税3%から5%引上げに遭遇し

 

 当時の経済状況は、1997年の消費税の引上げ(3%から5%に)や医療費の国民負担増加などに端を発し、個人消費は減少し企業の倒産も増えるなど戦後最悪という景気が続いていた時代です。第一経理は関与先や関係団体のご紹介でお客様を増やしていたものの、休廃業や倒産も多く、税務部門の収入は奮闘にもかかわらず年々減少していたのです。
 そうした中で私たちの業界は従来の記帳業務から脱皮して顧客ニーズに応えられるかどうかで二極分化するといわれた時代でした。第一経理は「経常業務を記帳業務と区分し監査と会計MASを主体にした提案型の業務に、さらに経営支援業務(コンサル)の事業化」(T&C業務)に挑戦していました。

 

記帳からの脱皮、3事業部制へ

 

 このパソコン切替作業に関わったメンバーを中心に、引続き関与先の会計ソフトの導入・立ち上げ支援に取り組み、お客様のニーズにあった自計化を急速に進めました。その後保険事業部の立ち上げ、ISOや企業再建など、新たなコンサル業務が具体化されてきました。
 この様な進展のなかで「税務経営」「事務総合」「経営支援」という三つの事業部体制による第4次中計(1999~2001)の構えができたのです。
 この展開がなければ固定費の削減や、新しい部門の増収もなかったと云えます。そういった意味で重要な転換期であったように思います。
 熟練した多くの社員が知恵を出し合い、決断・実践して乗り越えてきたと云えるでしょう。

 

 今回は、初代から3人の歴代代表に第一経理の60年の歴史の断片を語っていただきました。常に話し合って方針を作り実践し、また次の課題に挑戦していく。その時々の社会、お客様、に対し、社員が全力で取り組んできたからこそ、60年の今日を迎えられたと改めて感じるところです。次代に向けて新たな歴史を作り上げていることを決意しこの号の特集を締めさせていただきます。

長谷川 元彦

 

 

 これまでも、そしてこれからも、この御縁が末永く続くように祈りを込めてロゴは無限大をベースに作りました。
 この御縁が新しい絆を作るように新芽を追加することで60の文字を表現しました。
 皆様、これからも第一経理をよろしくお願いいたします。