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第一経理ニュース

随想

本の楽しみ(3)

 

スタビライザー株式会社
代表取締役 阿部 敏夫

本は郷愁の宝庫でもある。駆け足で過ぎていく人生の節目節目に忘れられない本が居住まいを正しており、あるいは微笑みかけてくる。

 

『よい匂いのする一夜』 池波正太郎 著

今は廃刊になってもう読めないのだが平凡社の雑誌「太陽」をながく愛読していた。現在では「サライ」が似た雰囲気をもっている。とりわけ著者が訪ねる旅行記と宿泊施設は有名なクラシックホテルの他に、小さな隠れ家風の旅館があったりで、それは楽しい時間が音も流れていくのである。時代小説家としてはもとより無類の食通であり映画通でもある著者の手にかかると全てが魅力に満ちあふれるのだ。一九九八年四月の東日本編の中から“京亭”を採りあげる。この小さな別荘風の旅館は東武東上線の寄居町の駅から、すぐの場所にあって、玄関は普通の民家と大差がない。客室に案内されてアッと驚くのだ。正面の荒川の風景が一人占めなのである。最初に宿泊したのは家族と一緒で、もう二十四年、五年も前であったろうか。本当に静かで部屋にはテレビもないのである。
何と言っても鮎飯が絶品で、今でも想い出す度に喉がなる。
そして荒川の向こうに武州鉢形城の絶壁が手にとるように見え池波正太郎はこの城を舞台に小説を書いている。三、四組しか宿泊できない小さな旅館の大きな想い出は本と経験が合流する場所でもある。そして荒川は今日も澄んで流れている。

 

 

『奇縁まんだら 続』 瀬戸内寂聴 著

日本経済新聞に連載中から好評で掲載日が待ち遠しかったのを忘れない。全部で五巻からなる二巻目が本書である。
菊田一夫をはじめ小説家を主に交遊のあった二十八名を特有の語り口で聞かせる人物評である。面白い。
正月になると思い出す人がいる。菊田一夫である。年輩の方なら識っているだろう。ドラマ「君の名は」を。
銀座数寄屋橋をかわきりに全国を舞台の悲恋の物語。
実は僕の所属する高齢者の集まり、シニア青春の会で佐田啓二、岸恵子主演による映画鑑賞会を開催した。
長い。長すぎる。昔の想い出にひたりながら観たのだが終わらないのだ。DVDで6時間を超えて歴史的すれ違いドラマは続くのだ。
それでも真知子巻きで一世を風靡した、このドラマの原点が菊田一夫の作品を、おもい起こされるだけでなく活字の偉力は視覚とちがう魅力を発揮するのだ。有楽町からすぐの場所も今は埋め立てられて川も橋もない。
数寄屋橋の地名が遠くかすんで残るのみ。艶聞の多かった菊田一夫が別れた女性にも優しかったと実例を挙げて説明する。それが何とも今おきたことのように鮮やかなのだ。どのように記憶を維持しているのだろうか。何十年も経ってなお相手とのセリフを覚えているなど空恐ろしい。それとも昨日逢ったばかりのように表現する作家の力なのだろうか。
描きだされる一人一人が魅力たっぷりに紙面から動きだす。横尾忠則のさし絵が楽しさを倍化して陶酔の世界へ案内してくれる。2009年5月の作品。