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第一経理ニュース

我が社の原点

紙の温かさを伝える ~小ロットに特化し、アナログはうちの仕事~

 

 

 

 

有限会社 日栄社製本
代表取締役 小林 利行

 

 

新宿区早稲田で会社を立ち上げ、現在は文京区の茗荷谷で製本業を営んでいる有限会社日栄社製本。製本業からスタート、その後印刷業にも乗り出し、スタイルは一貫して小ロットものに特化しています。本日は小林社長に、その取り組みをお聞きしました。

 

聞き手:埼玉事務所 御影池 秀夫

 

大手印刷会社から転身

 

―日栄社製本を立ち上げる前は何をされていたのですか。

 

日栄社製本を立ち上げる前は、印刷会社に勤めていました。ハイデル社の機械を120台持っている大きな会社です。ある時、小さな印刷を始めるということになりました。するとそれを製本する技術が必要になってきます。大きな紙で印刷した製本というのはどこでもやっています。小さいものに対応するのは、当時はなかったので、「小林君、製本やっていたよね。うちも小さいA3の印刷機を入れるから、製本のほうをやってくれないか。」ということで、それから始まったのです。
実は、私は22歳のころから、ハードカバーなどの上製本を作っている会社で仕事をしていました。6、7年勤めましたが、製本業というのは奥が深く、多種多彩で一生勉強だよ、と習いました。職人の世界です。既成のもので同じものであれば、別にどうってことないですけど、今は同じ豪華な本でもどんどん変わっています。いろいろな付加ものが付いて、それをいかに効率よくやるか、ほんとうに難しかったですね。

 

―独立した時のきっかけはどのようなことですか。

 

お客さんとしてその印刷会社へ仕事を出していた方が、ずっと「どこか製本屋さんがほしい。」と、言われていたんですね。「どこに出しても間違いが多いし、納期は間に合わないし。」とこぼしていました。その頃私も独立してやってみたいと思っていましたので、「じゃあ私がやりましょうか。」と手を上げました。
そこでこの方の力をお借りし出資していただき、他の製本会社を買い取り、今まであった古い機械を全部処分し、新しい機械に切り換えてしまいました。それから始まったのですよ。
最初は、がむしゃらでしたからね。仕事はなんでもかんでも拒まない。来るものはすべてやりました。
忙しいときには夜中の2時、3時までやって、2、3時間寝て、また5時、6時から仕事再開というのも多かったです。
最初、4人ぐらいで始めたので、仕事は足りませんでした。しかし出資してくださった方の紹介でとか、前にいた会社の営業の方の紹介でと、電話がかかってくるのです。そうしてどんどんいろいろなお客様が増えていきました。

 

小ロットに特化

 

―そこが会社のスタートラインですね。他の製本屋さんと違うところを打ち出さないといけなかったと思いますが。

 

小ロットの仕事というのは、どこの印刷屋さんも製本屋さんも嫌がってやらなかったのです。100部、200部やっても2万3万の仕事では採算が合わないので。だったら、うちでそういうのを全面的にやればいいんじゃないかなと考えました。
当時、私のやっている製本は、よその製本屋さんからは邪道だと、さんざん言われたのです。これは製本ではない、と。製本というのは折って、ページを重ねて一冊の本にするのです。私がやっていたのは全部ぼんぼんと八つに切って、ペラにしてページを合わせていました。
100部から500部以下の細かいロットの小さい仕事は、折りを折っているだけで時間がかかってしまいます。折りを折らないで、すべてペラにして、というやり方は私がやり始めたようなものだと思っています。

 

印刷もスタート

 

―印刷機の購入は10年後くらいですが。

 

100部、200部というのは他の印刷会社で印刷して、その後、製本をうちに持ってきて、また持っていくというやり方では、運賃が無駄で採算が合わないわけです。だったらお宅で印刷もやってもらえないかという話がいくつもありました。
私は、印刷もやっていたので印刷機は動かせるのですが、けっこう大変なのですよ。材料や、機械のいろいろな調整が。そこで簡易印刷機という誰でもできるコピー機みたいな印刷機を2台導入し、印刷を始めました。ただコピー程度なので画質はたしかに悪かったのです。それでいいというお客さんが何社かあったので、ではうちはその辺の仕事を全部ねらっていこうということでやり始めました。その後印刷機を一気に6台に増やして、どんどん回して、仕事を広げていきました。
当時はデータ化されていませんから、ほとんど紙原稿です。紙原稿を一枚一枚ページに合わせて貼り付けて、面付けと言うのですけど、アナログで印刷して製本する。そのような形へもっていったら、早いし、とても安くできましたね。

 

 

 

デジタル化

 

―印刷製本業界はデジタル化の流れがあったと思いますが、どのように対応されましたか。

 

6年前かな、やっとデジタル化しました。CD一枚とかUSBひとつで、印刷から製本まで出来てしまいますからね。しかし十数年前は、デジタル化の設備を導入するのに、資金を考えると、その決断はなかなかつきませんでした。そこでアナログで頑張っていたんですが、どうしてもお客さんが、デジタル化したデータで渡したい、という要望が強くなっていったのです。
ノウハウもまったくなく、メーカーさんに教えてもらうところからのスタートでした。
ただ、製本の知識がないと1、2カ月かかかるそうですが、私は製本業をやっていたので1週間でマスターできました。メーカーさんがびっくりしていましたが、やっぱり製本のほうがわかっているので、面付けも頭の中でイメージが湧き、ページの順番もすぐに置くことが出来ました。

 

アナログの仕事こそうちの仕事

 

―今はもうアナログの仕事というのはほとんどないのですね。

 

いいえ。今は印刷会社さんがアナログの製販を辞めてしまっていますから、原稿があっても、印刷して製本するとなると大変なのです。一回そのページをスキャニングして、読み込みます。それからデータとしてパソコンに入れて、そこから印刷する版を出すということをやっているのです。
しかしそれが汚い原稿だと汚れも全部入ってしまいます。その訂正処理をパソコン上でおこなうのに、とても時間がかかるのです。だったらアナログでこの紙の汚れたところを白くして、消してしまうほうが断然早いのです。手間もかからない。値段的にもアナログのほうがまだ安い。でもみんな辞めてしまっているので、アナログをやっている印刷製本屋があまりない。そこでうちに、というご紹介が多いです。この分野はやっぱりうちの仕事だと思っています。
また、いわゆる昔の復刻版のような、出来上がった本を一冊持ってこられ、これをもう一度印刷して製本してくれないかという話もあります。もう一回その本をばらして、そのばらしたものを手で貼って印刷する版にして、それを印刷機にかけるという仕事はけっこう多いですね。手間はかかりますけど、慣れている人間がやれば、それなりに早く出来てしまうわけです。ここもやっぱりうちの仕事だと思います。

 

最新の設備よりも改良

 

―デジタル化もそうですが、印刷製本業というと、設備投資のイメージがあるのですが。

 

会社を起こした当時、機械設備を新しくしても、すぐに回収出来る時代でした。うちも定期的に設備投資を行ってきました。しかし、いまは最新の設備が特別必要だとも思いません。よそが出来ないような、自分なりに特殊な製本をやっているという自負があるからでしょうか。
最新機を入れるよりも、今使っている慣れた機械を、さらに改良していろいろ対応させていきたいと思っています。オペレーターからも意見は上がってきます。メーカーに、「これをもうちょっとこうやれば、こんな特殊な製本もできるのですよ。」と言って、改良してもらい、利用している機械がいくつもあります。メーカーも「なんとかしてみましょう。」と、作ったら意外と具合がいいわけです。
子供のドリルでB4の横本もそうでしたが、針金で閉じてやっていたところ、怪我をしたら危ないというので、針金を使わずに出来ないのかという話がありました。そこでメーカーと相談して、特殊な機械を作っていただき対応しました。

 

仕事を詰め込む失敗

 

―商売をされている中で、決して順風なだけではないと思いますが。

 

早稲田にいた頃、会社がちょっと厳しく、とにかく何とかしようと思って、仕事を目一杯取ったんですね。そうすると失敗は出てくるし、納期には間に合わない。残業代は逆にどんどん増えて、悪循環に陥ったことがありました。こういうやり方をやっていたのではだめだ、と思っていた時に、取引先の印刷会社が倒産して3,000万円の不渡りをつかんでしまいました。
その当時、こんな状況だったら辞めたほうがいいんじゃないか、とはっきりある方から言われました。
その時に痛い思いをして、多くを勉強したつもりでしたが、こちらの茗荷谷に来て、また同じことをやってしまいました。目一杯仕事を詰め込んで、どうしようもない状況で倒産をされてしまう。
最初の不渡りをつかんだときは、その会社への売上は、6割を超えていたのです。ここからですね。目先のことだけでなく、いろいろなことを考え出したのは。まず、一社に偏っては駄目だと。仕事の中心を40社から50社にしました。今でも多い売上先で3割ぐらいです。また、きちっと得意先の管理や経理などもしなくてはいけないと思い、妻に会社に入ってもらい、事務処理はすべて任せることにしました。その後は本当にいろいろなことを助けられてきました。

 

茗荷谷にある本社工場

 

取引先に助けられる

 

不渡りをつかんで一番厳しかったとき、あるお客さんが、仕事を回してくださいました。他の印刷会社で印刷を発注し、うちで製本という具合にやっていたんですけど、それすべてを直接うちに回していただいたのです。実はそのお客さんに「いやあ、大変なことになってしまいました。」と正直に打ち明けたんです。すると「簡易印刷でもかまわない。品質は別にこだわらない。とりあえずやってくれ。」と言っていただき、どんどんやらせていただきました。本当に助かったという気持ちでした。間に入っていた印刷会社は、実は内容が細かく、種類も多く、段取りが大変だったようですけどね。
たまたまそういう一番苦しい時に助け舟を出してくれた。本当に心に残っています。今でもこちらの仕事は、難しい仕事でもいっさい断らずにやっています。

 

オペレーターの判断を仰ぐ

 

―受注に関して、どこまで受けるか、受けられるかということは重要ですね。

 

急ぎの仕事というのは、本当に困っているお客さんは、大体話でわかりますね。本当にどうにもならない、これを納めないと会社が危ない、お客さんを失ってしまう、というような切羽詰まったお客さんの仕事もあるんですよ。
うちも常々ある程度のスペース、空間を予定に明けておいて、何かあればそこにぽっと入れられるような体制をとるようにしています。しかしうちも今、それをやるような余裕はないのだけど、というような場面もよくあるんですね。
そこで現場のオペレーターに相談すると、「今仕掛中の印刷は、もう少しで終え、後は製本で、夜7時に上がります。そうすると夜9時から始めれば、朝の4時5時までに終わって、なんとか製本もそのあとに仕上げをやっても、朝の8時には納品できますよ。」とオペレーターたちが言ってくれるので、本当にその言葉で助かったこともあります。

 

商売の駆け引き

 

ただ、繁忙期のこの3月は、仕事をいくつも断ってしまいましたね。4月からの仕事を出してもらえるならやりますよ、という嫌な商売もしてしまいました。そういうのがあって、4月も売上は落ちなかったのです。嫌なやりとりではあるけれど、そういうやりとりをしておくことが重要なのです。来年につながるのですね。「去年あのときに助けてもらったよな。」ということで。一日ぐらい延ばすとか、外注を使うので、単価的にこのくらいになりますよとか交渉に使えるわけです。それは商売の駆け引きでしょうね。

 

まだまだ隙間的なものはある

 

―今後の展望をお聞かせいただけますか。

 

他の業種でもそうだと思いますが、隙間的なものがけっこうあると思います。段取りが大変でみんな嫌がっているようなところを、どんどん狙っていこうと思います。
印刷会社でも、中堅どころが辞めていますからね。逆に、ロットの細かいものの需要は増えているのです。
そのような細かい仕事、あまり手を出したくない仕事、しかも短納期などでそんなに利益も出ない。それを無理やり何とかしてあげる。そのような気持ちを持って、これからも商売を続けていきたい。また、印刷物がパソコン等に変わっていく中、紙の温かさも伝えていきたいと思っています。

(池田 健一)