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第一経理ニュース

随想

プロ野球の想い出

 

スタビライザー株式会社
代表取締役 阿部 敏夫

 

 久しぶりにプロ野球を観たのは昨年の7月のことである。西武ファンの息子が一緒に行こうと誘うのでひばりが丘から西武池袋線で西武球場にたどり着いた。天候にも恵まれ開始前に息子が用意してくれたビールがうまかった。この日、随分と気を遣ってくれて親子で観るプロ野球も捨てたものではないと妙にしんみりもした。
 対戦は西武と楽天。ぼくは東北楽天のファンなのだが此の日は西武に勝たせてやりたかった。結果は逆だが風は爽やかで嬉しい一日だった。息子と一緒にプロ野球を観たのは1993年、ドーム球場での巨人戦線以来のことである。

  昨年だったろうか山形球場で59年ぶりに公式戦が行なわれ話題になった。この球場での試合は2度目である。ぼくは、たまたま1度目の試合を観ている。
 高校1年生のときだった。今はなき大映スターズ対阪神タイガースの公式戦。もちろん1リーグの時代だ。忘れられないシーンが幾つかあって長身のスタルヒンがくるりと横を向いてタイガースのバッター目がけて投球するのだった。

阪神のダイナマイト打線

 当時の阪神タイガースは巨人と人気を二分して強かったのである。何と言ってもサードは藤村富美男、弟の隆男が投手、当日投げたのは若林だったか忘れた。キャッチャーが土井垣でゴロのベースカバーにファースト迄走っていったのを今でも鮮明に覚えている。
 そしてライトが別当薫、素敵だったナー。眼鏡をキラリと光らせて、出身大学の慶応ボーイそのままだった。
 阪神のサード藤村は物干竿と呼ばれた37インチの長いバットを振り廻して川上の赤バットと人気を二分していた。

 その2・3年前、中学生の時に東急フライヤーズの大下弘がシーズンオフに隣の羽前長崎町へやってきた。辺見じゅんが伝記の中で日本の天才打者として採りあげたので識っている人もおいでになろう。その町から通勤されていた音楽の先生にサインをお願いして手に入れた。同級生に自慢して得意になったものである。あのサイン帖、何処にいってしまったのだろう。

  昨年12月も終りの頃知人の幸田清さんや笠原康博さんが主催する練馬情勢判断学会と言う格調の高そうな団体の忘年会に出席した。それまでも何度か参加したことはあるのだが24名の出席者の中に野球評論家で巨人軍V9の名ショート黒江透修(ユキノブ)さんがおいでになった。監督が川上でサードが長嶋茂雄と言えば年配の人なら誰もが識っている。
 その長嶋の話である。現役の頃、ショートを守る黒江の前にきたゴロをサードの長嶋が勝手にとびだし捕球すると同時に2、3歩歩助走しながら一塁に投げる。そして投球姿勢を保ちながら手の平を震わせる。観客は何と華麗な守備と沸くのである。天性のスターと言ってよいのだろう。あの長嶋が地方の宿舎で一緒に就寝中、突然はね起きてバットを振り廻す。才能だけではない。隠された努力が思わぬところで目を覚すのだ。スターは又厳しい負荷を自分にかけている。
 もし不用意に起き上がろうとしたら頭がつぶれると本当に恐怖を感じたとのこと。すさまじいまでの練習だった。
 黒江さんは続ける。子供の野球教室で巨人のV9と言っても誰も知らない。石神井に住んでいるのに練馬区の皆は関心が薄いと。

  日本経済新聞にながく続く「私の履歴書」なる連載記事がある。新年1月はONと言われた王さんの自伝が1ケ月続いた。往年の名選手が活躍する中で長嶋の努力をこの人も誉めて素晴らしい。
 プロ野球の選手も又、幾つになっても心の中で若々しく生き続ける。