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第一経理ニュース

我が社の原点

~文化が支える街づくり~柏駅前通り商店街の歩み 

 

p2-社長

 

 

 

 

株式会社 こやなぎ
代表取締役 小柳 満雄 氏

 

  株式会社こやなぎは、柏市駅前商店街で不動産管理業を営んでいる会社です。商店街が基盤であるために、自身の会社の発展のためにも、商店街をいかにして活性化するかが常に求められています。本日は、長年この商店街の専務理事をつとめられている小柳社長にお話しを伺いました。

 

 

埼玉事務所 碓井 清貴

● サラリーマンから商店主へ

 

―柏駅東口駅前から南東に伸びるこちらの商店街は、明治の頃に立ち上げられたとのことです。株式会社こやなぎさんは、この商店街とともに成長してこられたわけですね。

  私は最初、別の会社で働いていました。就職して3年くらいたったころ、社長である私の妻の父親が亡くなりました。祖父が、明治39年に、当社の前身である金物商を開業しました。経理の経験のある私は、この店の立て直しのためにこちらで働くようになったのです。昭和30年代の後半のことです。

 

―当時の柏駅前はどんな様子でしたか。

 (そのころの写真を見ながら)この角のところは魚屋。こちらは饅頭屋。こっちは洋品店でした。今はもう、みんな変わってしまいましたが。
 当時の柏の街はまだ戦後の復興期で、農地である谷津田(狭隘地(きょうあいち)の田んぼ)を埋め立てて、住宅地がどんどん広がっていきました。山林を切り開いた光が丘(柏市)が一番初めにできた団地です。柏駅西口の豊四季にも団地などが出来、都内に勤務される方が入居してきました。
 市の人口も増え、生活スタイルも変わっていきました。金物屋も私の代になって生活雑貨が中心になっていきます。ウィンドウにセンスのある商品を並べたりしました。
 その後、商店街にショッピングセンター出店の話が浮上し、昭和46年4月に、商店街の中にイトーヨーカドー柏店がオープンしました。その際、私の店もその一角に入って営業したりもしていましたが、数年後にはこの雑貨店も閉めることになりました。そのころには雑貨店と並行して行っていた、不動産管理業が会社の主業務になって今に至ります。

 

 

柏駅前の再開発

 

―イトーヨーカドー完成後、商店街の周囲の状況に変化はありましたか。

 当時の柏市は、急速に人口が増えてベッドタウン化が進んでいました。それにつれ駅周辺の混雑がひどくなったので、昭和45年に、柏駅東口市街地再開発事業が計画され、大規模な再開発が行われました。柏駅といえばダブルデッキ(ぺデストリアンデッキ)が有名ですね。今でこそ色々な駅前にダブルデッキはありますが、昭和48年、東日本で初めて出来たのが柏駅東口駅前です。
 ダブルデッキの工事が竣工した年に、柏そごう、柏髙島屋などが相次いでオープンしました。これにより、柏駅前は商業地として発展していくことになり、さらに人通りが増えることになったのです。

 

―その再開発の最中、この商店街は物を売るだけでなく、文化的な企画を発信してきたそうですが。

 そごうや高島屋へ向かう人の流れを、なんとか私たちの商店街にも向けてもらうために、私たちは色々なアイデアを試しました。まず日曜祭日は、商店街は歩行者天国になりました。昭和48年からずっと続いています。中心地に公園がないので、商店街でも市民の皆様が公園の快適さを味わえるよう、樹木や街灯があるような街づくりを目指すようにもなりました。
 その歩行者天国で、昭和48年10月、ギリヤーク尼ヶ崎氏による第1回パフォーマンスが行われ話題となりました。昭和50年には劇団天井桟敷(さじき)スタッフによる青空劇場などが行われました。パフォーマンスを観てもらうことで、この商店街に来たことが、その人の人生にとって、特別な出来事になってくれれば、またこの商店街に足を運んでくれると思い、色々な企画を発信しました。その甲斐もあり、これらの試みは、商店街に足を止めてもらえる良いきっかけになりましたね。

 

 

オープンモールの完成

 

―商店街が現在のような姿になったのはいつ頃ですか。

 商店街は、昭和58年に振興組合を結成しました。県と市の補助金を獲得して商店街の道路を新たに造ることを計画するためです。元々、この商店街の道路の両側にはアーケードがありましたが、これを取るか取らないかという問題が起こりました。私は取り払ってオープンモールにすべきだと主張しました。アーケードは老朽化していましたし、何より歩道に日の光が当たらないため、商店街全体が暗い感じがしたのですよ。しかし、最初は今のままアーケードを残す方が良いという意見が多かったのです。

 

―どうして残す方が良いという意見が多かったのですか。

 当時の商店街は、昭和30年の柏駅前大火を教訓に、昭和31年に防火帯建築で再建した街だったので、店が繋がって長屋みたいになっていました。これがオープンモールにするときのネックになっていたのです。一戸新しく造りなおすと、土台が入り組んでいたり、長屋を切り離す必要があったりと中々難しいものがありました。

 

―どうやって反対派のみなさんを説得したのですか。

  私は立場上、どうしても計画の先陣を切ってやらなくてはいけないようなところがあったので、まず自社のビルから造りなおしていきました。その甲斐もあり、ビル化に協力してくれる人が出てきました。そうやって他のオーナーも説得していきながら計画を進めていきました。
 また、そのとき洋菓子のチェーン店をやっている人が会長になり、この人が街づくりに尽力してくれました。私たち商店主は全国の商店街を見学して学んでいきました。計画から5年近くかかりやっと意見がまとまりました。
 県の紹介で有名な設計士に道路の設計を依頼し、昭和63年、それまでアーケードであった商店街は、アーケードをとりはらったオープン形式の道路として生まれ変わりました。

 

 

ハウディモール

 

―生まれ変わった商店街は、名称も新たになったのですね。

  柏駅前商店街は応募で『ハウディモール』という名を戴き新たな活動を始めました。ハウディとは「やあ」とか「こんにちは」という軽い挨拶のことです。ハウディモールの歴史を写真集として、平成25年に出版した冊子『特異日』は、「ハウディモールは、道路であり舞台(ステージ)である。この舞台という性格を持つために、伝説を生み、唯一無二の文化を育ててきた。…」といった序章からはじまっています。ただ物を売る商店街ではなく、いろいろな企画を行っていく姿勢は、ハウディモールになってからも受け継がれています。

 

 

アートラインかしわ

 

―平成18年から常磐線の沿線自治体の活性化を目的とした「JOBANアートライン協議会」に「アートラインかしわ」として参加しているそうですね。

  歩行者天国を利用してカフェテラスを出し、その道端では舞踏家が舞を踊る…といった、アートをテーマとしたイベントです。
 アートラインの場合は中心になっているのは、アーティストや学生・ボランティア。それに理解を示して出資してくれる財団法人。イベントはアートパフォーマンスを中心に毎年秋に行われています。われわれも商店街として、この通りでイベントに取り組みます。
 第1回目にはグラインダーマン。2回目は舞踏集団の大駱駝艦(だいらくだかん)。3回目の平成20年11月には、田中泯(みん)氏による舞踏のパフォーマンスも行われました。彼は良かったですよ。歩くだけで存在感がありました。その次は画家の西村記人(のりと)氏、ジャズピアニスト山下洋輔氏、DJ矢部直氏による即興ライブパフォーマンスを開催しました。この時は雨天だったので会場を近くの小学校の体育館に変更しました。その後も、毎年違った趣向のアーティストが、様々なパフォーマンスでイベントを盛り上げてくれています。

 

―そういうアーティストはどういった基準で選んでいるのですか。

 探し回るのです。柏のイメージを広げてくれる方を。仲間からこういうのを見に行かないかといわれて、出かけて見て気に入ったら、呼んでみるという感じです。
 過去に興味のあるものをとにかく見ようということで、仲間内でお金を出し合ってアーティストを呼んだり、絵画展を開いたりといった活動をしていたのですが、その時から趣味の世界になると夢中になってしまうのは変わりませんね。

 

―文化を発信していくという精神が、商店街に根付いているのですね。

  最近は、インターネットで買い物を済ますことができるでしょ。実際に、長引く不況や、人工の減少で商店街に足を運ぶ人が少なくなってきています。しかし、銀座や渋谷、原宿なんかは、今でも休日になると人があふれている。何が人々を引き付けるのかと考えたら、やはりその街ごとに築き上げてきた、歴史や文化だと思うのですよ。
 ハウディモールには、歩行者天国といった環境と、そこをステージにして、様々なパフォーマンスが繰り広げられてきた独自の文化があります。この文化は、パフォーマンスを行ったアーティストだけが築いたのではなく、それを許容した街や、応援してくれた人々なしでは作れないものです。文化を支えるまち、まちを支える文化。この精神は今後も、この商店街に引き継がれていくものと信じています。

 

 

 次の10年を構想する 

 

―様々な変遷を経ての柏駅前通り商店街ですが、今の課題はどんなことでしょうか。

 

  つくばエクスプレス柏の葉や柏沼南の大型ショッピングモールの計画など、柏駅前商店街もつねに周辺の商業施設との競争にさらされ、変化が求められています。私たちは、柏駅周辺まちづくり10ヶ年計画に基づくハウディモールの整備計画を策定するために動き出しています。中心市街地活性化法により国からの補助金を受けて行われました。
 次の課題は、商店街の道路に車を入れず、公園化するなど、郊外の大型ショッピングモールにはない、独自性のある環境づくりです。車を入れないと商品の搬入はどうするのか。今ある歩道との段差をどうするか。老朽化したイトーヨーカドーのビルをどのように活性化させるか。など課題は山積しています。街に人を呼び込み地域社会を盛り上げるためには、更なる10年を構想する必要があります。その中で、この会社も、不動産管理業を通じて、この商店街と共に発展していけたらと思います。

 

―大変な思いでオープンモールが完成して30年近く経ち、更なる変化が求められているわけですね。新たなハウディモールの完成後にはまたおじゃましたいと思います。本日は、ありがとうございました。

 

(後記)
 インタビュー終了後、取材に伺った私たちは、小柳社長に街を案内して頂きました。ゆっくりと歩みながら時に立ち止り、かつての街並みを語ってくれました。我が街を慈しむ気持ちが伝わってきました。

 (舟橋 昇志)

 


 

JOBAN(じょうばん)アートライン
 東京藝術大学・JR東日本東京支社や常磐線沿線の自治体が「アート」をキーワードに、イメージアップと活性化に取り組む活動。JOBANアートライン協議会の会長は取手市長が務めている。