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第一経理ニュース

我が社の原点

亡くなったお子さんと共に。地域に開かれた診療所。

 

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 医療法人社団 健智会  理事長 矢澤 智子 

  東久留米市幸町の住宅街に溶け込む、民家のような飾り気のない小さな建物。理事長の矢澤智子先生は、ここに地域の方々が集まれる内科診療所『さいわい町診療所ふれあいホーム つとむの家』と、それに併設して、体調を崩した子を預かる病児保育所『こども静養室 めぐのへや』を営んでいます。
 家庭のリビングのような待合室に、白衣を着用しない先生の姿は、まるで知り合いの家に遊びに来た、あるいは実家に帰ってきたかのような温かみを感じさせます。今回は、そんな良い意味で特殊な診療所を経営されている矢澤先生にお話を伺いました。

 

 


聞き手 : 池袋事務所 医療事業部 石田信之

  開業のきっかけと筋ジストロフィー

 

―開業の経緯と理由をお聞かせ下さい

 

 私は日本医大を出て東京女子医大、名古屋大学附属病院分院や透析専門クリニックに勤務し、その間で家庭を持ち四人の子供に恵まれました。その内、長男(勤くん)と次女(恵さん)は先天性の福山型筋ジストロフィーを患っていました。
 筋ジストロフィーとは、筋力が弱くなり、多くは歩行すらできない病気で、二人とも生涯全介助で車椅子の生活です。長男が高校生になった頃、卒後をどうするか考えました。とても心配りのできる優しい子だったので、私の傍らで人の和を取り持つ役目ができたら良いと考え、私が開業して長男と一緒に診療所をやれたらいいな…と思いました。
 しかしそれは叶いませんでした。中学生までは、徐々に体力が低下していたにも関わらず欠席せずに通学していました。しかし中学卒業後に体調を崩して入院し、高校の入学式には出られませんでした。そして高校1年生の平成7年7月に亡くなりました。
 その後私は、『勤』の名をつけた、『さいわい町診療所 つとむの家』を平成9年1月に開設しました。その際、同じ病気を持つ次女(恵さん)を連れて来て約束しました。「そのうち、めぐさんのおうちも作るからね」と。

 

―次女の恵さんも筋ジストロフィーを抱えられていたのですね

 

 平成16年8月、高校3年生の夏休み中に次女は亡くなりました。長男のときと違い突然の別れでした。その日の朝までいつもと同じように元気で、「二十歳になったら成人式に晴れ着を着ようね」などと話していました。そんな日常の中で昼ご飯を喉に詰まらせたのです。
 筋ジストロフィーは物を飲み込む筋肉も弱くなります。そうは言っても体調に心配のない状況でしたので予想だにしていない急なことでした。その頃、主人は東京と北海道を行き来していて多忙で、その時はちょうど北海道にいました。また、その日は次男・長女もともに外出していました。家族への電話はなかなか繋がらず、非常に焦ったことを思い出します。ようやく子供二人が傍に来て、主人が急遽駆けつけた1時間後に、父親を待っていたかのように旅立ちました。
 次女は天真爛漫な子でした。年齢や肩書、障害の有無などお構い無く、『人は皆、平等!』を地で行くような明るい子でした。小さい子が大好きで、気づくと「おいで」と手招きし可愛がっていました。「こんにちは!」の声掛けに、そういうことを恥ずかしがる年頃の中高生の男子生徒なんかが黙って通り過ぎるなどすれば「お返事ないね~」と残念そうに言っていました。

 

地域に開かれた明るく温かな診療所

 

―診療所の特徴について教えてください

 

p2外観

外観

 コンセプトは地域に開かれた診療所です。一般的なクリニックとは違い、外見は普通の家のようですし、私も白衣は着ていません。待合室は陽の当たる明るいところに作り、置いてある家具や装飾などは患者さんから頂いたものです。
 この地域には、子供の家族に呼び寄せられて、地域の老人会にも入れずにいる孤独な高齢者の方もいました。何かしてあげられないかな、なんとかしてあげたいなと思いました。そういうわけで、私が往診に出ているときのうち、週に1回2時間ほど、ここを交流の場として使ってもらっています。
 その1つとして、開業時からの知人である音楽療法士に音楽リハビリをして頂いています。みんなで歌ったり、ハンドベルを奏でたり、手話を交えたり、懐かしのメロディから最近の歌、童謡まで楽しんでいます。参加者の方が上達した頃の一時期に施設を訪問して喜ばれたりもしました。
 他に、子育てに悩んでいるお母さん、家族の介護をしている方々が気持ちを共有する場所としても使って頂いています。ストレスを発散してリフレッシュし、再び優しい子育て・介護へ向かう場所としての茶話会を月1回ずつ、トールペイントの同好会も月1回開催しています。希望があればカウンセリングの時間もあります。
 音楽リハも茶話会等もみなさん満足して帰られているようです。こういう場を地域の皆さんに提供できていることを非常に嬉しく思います。
 診療に関しては、通常の外来診療だけではなく訪問診療にも力を入れています。歩ける人はどの診療所でも行けますが、歩けない人はそうはいきません。そういう人の役に立てたらと、在宅医療に関わりたいという思いは昔からありました。訪問診療では私一人で動いており、パワーがあるわけではないのですが、寝たきりになった方の最期まで関わり看取らせて頂けることは、私自身に力を頂けることです。

 待合室

 

―診療所の建物と隣接して病児保育もやられていますね

 

 過去に4人の子を育てながら、フルタイムで仕事をしてきました。子供たちが元気な時は問題ありませんが、体調不良時は午前・午後で主人と交互に、取り難い休みを取って対応しました。誰か助けてくれる人がいないかしらと、せつに思ったものです。
 診療所を開設して数年経った頃、立川市の小児科医の病児保育の記事を目にし、こんなことができるのだと知りました。そうして平成18年5月に、子供好きだった次女との約束を果たして名前を決め、病児保育所『こども静養室 めぐのへや』を診療所に開設しました。
 今でこそ診療所に併設していますが、当初は診療所から300メートルほどのアパートの1室で、一緒にやってくれる看護師と保育士を頼み、家賃・人件費・その他諸費用は全て持ち出しで始めました。5年後にようやく市と都から助成金を受けることが出来ましたが、それでも現在も赤字経営です。(笑)
 始めて3年ほど過ぎて、たまたま大家さんの奥様が診療所の方の外来に来られた際に、私が何気なく「お子さんを預けに来るお母さんはここで子供に診察を受けさせ、離れた『めぐのへや』に連れて行き、それからまた仕事に出かけるのはたいへん!!」っとポロっとこぼしてしまいました。そうしたところ、大家さんに話をしてくださり、なんと診療所の隣に保育室を建ててくださったのです。色々な点で地域の方々に助けられて仕事を継続できており、病児保育は今年で10年になります。

 

p2めぐの部屋 おもちゃや本は利用者の方から頂いたもの

めぐの部屋 おもちゃや本は利用者の方から頂いたもの

 

―悩んだことや辛かったことも相当あったのでは?

 

 私も難病の子を産んで悩みました。でも悩む時間はそう長くなく、気持ちの切り替えは早いですね。くよくよしたってなにも進まないもの。(笑)
 私の結婚の条件は仕事を続けることでした。結婚したら仕事をやめるなど考えたことはありません。それで子供を持たなくても良いかと思っていましたが、いつの間にか4人の母親になっていました。3人目を産んだときに、あまりの忙しさに「仕事をやめたいな~」と言ってしまった時、主人から「後で人のせいにしないように」と言われて、それ以後この言葉は禁句でした。

 

プライベート

 

―プライベートでは先日、特別支援学校のスキー合宿に参加されたそうですね

 

 今年も例年通り、3月最後の土日月の2泊3日、診療所を休診にして苗場までリフトバス2台を連ねて行ってきました。『第34回 親と子の雪国学校』です。参加者は、肢体不自由児の特別支援学校の生徒・OB・保護者・兄弟・先生・ボランティア等で100名近くになりました。
 いつも車椅子の子たちがバイスキーでリフトに乗って山の上まで登り、広い斜面を大きく右に左に風を切って滑走して、体験したことのないスピード感に圧倒されながらも大満足の笑顔を見せてくれます。
 私は医務係、主人は写真とミニ新聞係としての参加です。20年以上前に家族6人で生徒・兄弟・保護者の立場で参加を始め、2人の子供を亡くしてからも多くの子供達にバイスキーの疾走感を体験してもらいたくて、私たちは継続してサポートを続けてきましたが、この催しへの参加は年齢的に少しハードになってきたな~と、感じた今回でした。

 

次男の会社と矢澤先生の今後

 

―次男の修さんも保育関係の仕事を始められたそうですね

 

 次男は当法人の理事の一人ですが、この3月に『株式会社イースマイリー』という会社を設立し、『ITと保育を結びつけて、3年後に世界一の保育園を創る』という大きな夢を持って頑張り始めたところです。これには亡くなった兄妹の影響をかなり受けているようです。  
 主人は長男が小学生のときの参観日に、保育園児の次男を連れていくことがよくありました。その時に次男は長男の教科の程度を少し低く見たようでした。また、長男の宿題を見て「なんだ、こんなの簡単じゃないか」と言ったもので、長男もプライドが許さなかったのか、それ以来、次男の前では決して宿題をしようとはしませんでした。
 その意識が覆されたのは長男の葬儀の時でした。500名になろうかという方々が来られ、葬儀社の方が「これは社葬規模ですよ」という程でした。そういった様子を見て次男は「自分が死んでもこんなに人は来てくれないだろう。お兄ちゃんはすごい!!」と思ったようです。長男・次女は人が大好きで、そういう、人を愛する2人だからこれだけの方々が来て下さったと理解したようでした。それ以来、次男は人間関係というものを何よりも大切にするようになりました。
 保育園を創ることは昔からの夢だったようで、さらに素敵な保育士の養成をするため、なぜ保育士が集まらないか、どうすれば保育士の待遇が良くなるかなどを、日々考えつつ命をかけて頑張ると言っています。
 どうなるか心配もありますが、一方楽しみでもあり、そんな姿に私ももう少し頑張らなきゃという気持ちになりました。私ももう69歳になりましたが、とにかく今のまま続けられればと思います。患者さんだけでなく自分自身の体調を整えながら元気にやれればいいと思います。

(石田信之)

 

p2家族写真


医療法人社団 健智会

〒203-0052 東久留米市幸町5-7-1

さいわい町診療所 ふれあいホーム つとむの家
TEL:042-470-7676

こども静養室 めぐのへや
TEL:042-420-9095