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第一経理ニュース

随想

歴史の視点②

 

スタビライザー株式会社

代表取締役 阿部 敏夫

 ついこの間、若い女性に土方歳三が大好きと言われた。最近街歩きや歴史上の人物に興味津々の若者が眼につくのはスマホゲームも原因らしい。いずれにしろ身近な視点で過去を識ることは未来をも又見通せることだ。
 同じ感覚で、この春現地を訪れたのが諏訪の御柱祭。七年に一度の大祭、テレビ放映もあって、地元の人達のみならず広く関心が高い。実は、練馬区長野県人会がバス2台で企画した「故郷訪問旅行」に相乗りしたのである。ついでのことながら年会費を払って長野県人会に入会した。私は山形県出身だが、かまわないとのこと。なにしろ担当幹事の皆さん、気配り心配りが手厚いのだ。
 直径1m、重さ10トンのモミの木に氏子が数十人も乗り勇壮なマーチ風の伴奏と共に急坂を駆け下りる。
 見物席から見ると一寸きざみで進む御柱が何とも、じれったい。見せ場を意識した伴奏が雰囲気を盛り上げて2時間余の待ち時間を飽きさせない。
 最高潮に達し御柱が急坂を怒濤のごとく滑り下りる瞬間。珍事は起きた、のである。先頭が傾き始めたその時、JR上り列車が視界を遮り、通り過ぎた時には御柱の駆け下りも終わっていたのである。おおよそ10秒ぐらいだろうか2時間待って10秒に泣いた記念すべき平成二八年四月三日。

 翌日は上田城。NHKの真田丸で一躍観光地に拍車がかかった。p11-1上田城
 父真田昌幸と信繁「幸村」は石田三成の誘いに乗って豊臣恩顧の西軍。長男信幸は内府徳川家康につく。巷間いわれるどちらが勝利しても真田は残る。疑問がない訳でもない。
 前線での戦いともなれば家族での血戦である。
 今風に考えれば大塚家具の親娘騒動が似ているだろうか。歴史は常に、現在での実例を用意する。結局真田家を残し真田松代藩として明治維新まで家系を継いだのは地味で正統的な発想をする真田信幸である。
 維新後明治十七年の華族令により松代藩十万石の真田家は伯爵の爵位を得ている。p11-4真田幸村
 上田城もさることながら今回楽しみにしていた恩田木工の碑を見ることができて感激した。松代は長野市松代町になるのだが上杉鷹山の米沢と街並みが似ている。
 木工は四代藩主信弘のときに家老をつとめ藩財政の再建に着手する。妻を離婚し決死の覚悟で取りくむ。それでも成果はあがらない。鷹山の家老竹俣当綱(たけのまたまさつな)が同じような努力を強いられている。一旦財政難に落ちいった藩は塗炭の苦しみに見舞われるのだ。
 封建制武家社会の宿命でもある。木工は言行録「日暮硯(ひぐらしすずり)」で知られるがその人となりはもっと研究されてもよいのでは。
 そう言えば松代で忘れてならないのが幕末の天才佐久間象山。勝海舟の妹と結婚し義弟となった。
 史跡を訪ね歩くたび、歳月は街並みを変えることはあっても吹く風は頬に優しく、又ある時は痛い程の鋭さで記憶を呼びさます。

p11-2恩田木工の碑

 

 

 p11-3恩田木工パネル