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第一経理ニュース

随想

「社員の想出」(1)

 

スタビライザー株式会社
代表取締役 阿部 敏夫

 

 一緒に働いた社員の人生は経営者の人生でもある。全部ではなくても、その一部は同じ時間を過ごし同じ空気を吸っていたのだ。
 とりわけ創業まもない頃の若い社員には、その雰囲気が濃い。
 山形県米沢市の隣町に地方工場が出来た頃のことである。もう25年も前のことだ。
 K子さんと言う21歳の女子社員が目立って活躍していた。一ヶ月に一度訪問の私に対しても物怖じせずに意見を言うし、何よりハンダ付けや束線造りの現場仕事によく馴染んでいた。3mもの高さの部品柵に取り付いて仕事に不満を言う事はない。
 ただ改善のための提言は多かった。彼女は誰からも好かれていたし誰に対しても親切であった。仕事の指図が不適確な上司の男の課長に対しては遠慮なく反論を述べたりする。
 地元の進学校の出身で東京、中野の警察学校を卒業していた。高校の時には共学の普通高校で野球部のマネージャーをしている。
 男性に遠慮がない訳だ。郷里に戻って町役場の臨時職員をしていた。創業時に役場の一室で面接をして採用した社員である。この時、他に二人計三人の女子社員を役場の若い働き手の中から採用できた。役場の職員から他には黙っていての約束通り今だから話せることだ。
 そんなK子さんにも弱点はあって、方言がひどいのだ。とりわけ困る(?)のは自分のことを俺という。他の女子社員にも20名中2、3人自分のことを、そう呼ぶ女子社員はいた。但し年配の社員である。いくら山形県でも新幹線が通りテレビが発達した時代においてである。多分それは天真爛漫さのせいである。彼女達の会話を聞いてると明るくて、まるで屈託がない。
 面識のある無着成恭氏のズーズー弁より、ひどいのである。休憩時間に話しているのを聞くと何がそんなに楽しいのだと呆れるばかりだ。
 折も折、町の教育長から事業主の私宛に分厚い封書が届いた。文面は貴社のK子さんが町の読書感想文コンクールに応募して、一般の部で奨励賞を受賞した。ついては事業主も一緒に表彰式に出席して欲しい。出来れば当日の式典には欠勤扱いをしない配慮をと丁寧な内容である。
 嬉しい。嬉しかった。何故なら、これには伏線があった。東京の事業所もそうだが山形の工場でも前年から社員全員に読書手当を毎月三千円支給していたのである。四月の昇給月に、いつもより全員多めの昇給をした。その上での一率支給だ。そうでなければ社員は定期昇給分を名目をかえて読書手当にしただけと思うだろう。製造原価のアップを考えるとキツかった。私だって頑張る時は頑張るのだ。自分に鞭打っての決断だった。
 その上での結果である。会社が社員に強制した訳ではない。だから感懐深いものがある。彼女の感想文は直木賞作家山田詠美の「ベッドタイムアイズ」であった。当時の新しい文学作品である。
 表彰式に同伴した私に妙な気が起きた。来年は自分が応募してみよう。
 そして翌年、藤沢周平の作品を題材に選んで感想文を書いた。気分はもう入選である。審査員は識っている。義理で入選にして貰っても困る。そこで会社の封筒は使わないことにした。大き目の茶封筒に目立たないように住所、氏名を書いて応募した。
 結果はホロ苦いものだった。佳作。その年入選はなかった。奨励賞より一つ上のランクである。大体動機が不純である。謙虚さの無い作品は評価しては、いけない。それから私はもう応募することはない。
 充分に会社への貢献度を高めた彼女は二年後、結婚する。主賓で披露宴に招待された私は彼女の読書感想文が、いかに他の社員を勇気付け、この制度を意義深いものにしたかと祝辞を述べた、ように思う。新郎は教員である。非常に似合いだった。やがてご主人は50㎞離れた寒河江市に転勤になる。心ならずも彼女は退職する。オバアチャンになるまで勤務したいと言っていた人だ。しばらくして赤ん坊が生まれたと写真入りの絵葉書が届いた。秋になると想い出す。米沢の秋のように爽やかだった女子社員。