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第一経理ニュース

随想

社員の想い出(3)

 

スタビライザー株式会社
代表取締役 阿部 敏夫

  よくぞ、あんな贅沢ができたものだと今でも思う。
 昭和56年、部下二人を連れて独立し現在の会社を創ったときのことである。独立前の会社で専務取締役をしていた私は社長に実務一切をまかされて恐いもの識らずだった。前身の会社も社長と二人で昭和43年に創業した電源装置のメーカーである。時流にも乗って7年間で社員も100名を超えるまでに成長した。有名大学卒業の社員も増え技術講習の講師を取引先の上場企業の研究所長にお願いした。
 その時の先生が魚住捨清さんである。大正生まれの氏は当時、現役の日本学術会議の会員であった。大阪大学の理学部を3月に卒業し4月から同学部の講師を依頼された俊秀である。理学博士の学位を持つ氏は日本代表で国際会議に4度も出席している。
 この先生に前身の会社で講習を依頼し社員の技術研修をはじめた。
 当初50名以上の参加者が会を追う毎に減り3回目からは社長も欠席するようになる。4回目以降からは私以下1、2名になる。その頃の受講生には会社の開発部や設計課員が多く気鋭の国公立大卒を揃えていたのにである。難しい。眠くなる。のが原因。実は人数が減る毎に視線は私に向けてが多くなり、こちらも喰いつくように先生の口許を見つめる。しばらく経ってからの話だが、あの頃阿部さんは「いつも不機嫌そうな顔をしていましたネ」。と先生は言う。そうではない。私も又眠くて必死の形相をしていたのだ。

随想上 何が幸(さいわ)いするか解らない。この時、先生の講義を熱心に聞いていたのが理由で新しい会社に参加することになる。嬉しかった。だが待てよとも思った。先生の希望する給料を払えるだろうか。幾らでもいいのだと言う。
 若い人達と新しい仕事をしたい。たまたま私の無鉄砲サがお気に召したらしい。人生も捨てたものではない。

 技術開発部長の名義で先生は頑張る。私も当然、二人三脚で頑張る。資金力の無い私達が最初にとり組んだのが「電子放散方式による空気清浄装置」。売れた。忙しい。
 次にテーマにしたのが「H2Oを利用して多段階プラズマにより機械的エネルギーを取り出す法」。今や水素エンジンも実用化されているが、これは水で動くエンジンの理論特許である。
随想下 日、米、独、伊、英の自動車先進5カ国で取得した。但し8年の歳月を必要とした。
 日本で8年もかかったのは審査官の水準を超えていたからだ。
 理論構成に不備はないかと先生は自分の長男に相談する。当時ご子息は東大理学部の院生であった。
 息子が、この難解な理論に疑問をはさまなかったと安心する親はどれくらいいるのだろう。
 結果は私達の勝利である。後日この長男の留学先の米国から手紙がくる。父がお世話になっていますと丁寧な文面であった。
 招待をされて私は家内と共に高尾のご自宅を訪問する。緩い坂道をのぼると昭和の木造家屋は縁側が着いてい、見晴らしのよい高台にあった。華美ではないが充分な広さを備えて辺りの光景に似合っていた。先生はこんな遠くから練馬区西大泉の当社まで来られていたのだと胸が熱くなったのを今でも忘れない。
 大正生まれの先生はすでに亡いが一緒に仕事をした時間は私にとって黄金の10年である。何もまして贅沢な心の青春である。(この項は2010年4月、男の魅力(Ⅴ)でも触れている。)