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第一経理ニュース

我が社の原点

 

何としても和菓子文化を守りたい

有限会社 岡安堂 代表取締役 岡安 洋子(ようこ) 氏
北区王子の「北とぴあ」から程近いところにある老舗の和菓子店岡安堂。洋菓子が広く浸透した今、あらためて手作りの和菓子のおいしさ、こだわり、文化についてお話を伺いました。

聞き手 池袋事務所 神谷 菜穂

――来年創業100年を迎える訳ですが、岡安堂の歴史を簡単に教えてください。
社長 私の祖父の岡安民蔵(おかやすたみぞう)が、餅菓子職人として修業後、明治44年に王子本町権現坂(ごんげんざか)に店舗を構えたのが始まりです。しかし初代が早くに病没したため、父、岡安高之助(おかやすたかのすけ)が急遽商売を継ぎました。
当時の権現坂(ごんげんざか)は、造幣局や警察などの官公庁が坂の上にあったので、朝夕、人の行き来がとても多かったようです。ほかにお店はあまりなかったので、お菓子もよく売れましたし、食事も提供していて、警察などに配達もしていたようです。
約20年権現坂(ごんげんざか)で営業し、戦後、王子二丁目に土地を買って移ってきました。戦後の物不足もあって、甘いものは作ったうちから飛ぶように売れていきました。
その後、私が4歳ぐらいの頃、王子一丁目に土地を買って2階建ての店舗を建て、1階は和菓子を、2階は食事を提供しました。15、6人の従業員が住込みで働いて、事業も手広くやっていました。
当時の先代を覚えているお客様は、「小柄で、いつもニコニコしていて腰が低くて、商売人って感じよね。」とおっしゃってくれます。そんな父ですが、自分が明治生まれなものですから、昭和の人間は駄目だ駄目だと言っていましたね。私が昭和でも戦後の生まれですから、よけいに強く言っていましたけど、明治の人の気骨というのはすごいものです。戦争を乗り越えているのですから。
とにかく、先代は17歳から始めて90歳で亡くなるまで現役でした。私が社長になってからは、商売の仕方や経営方針でよく衝突しましたけれど、お互いよく支えあいながらお店をやっていました。

――どういうきかっけで社長を継いだのですか?
社長 父は昔から、3人の兄達には自分の好きな道に進みなさい、姉と末娘の私には女の子はお嫁にいくものだからと繰り返し言っていました。そして昭和60年、父が77歳の頃、お店を閉店すると言い出しました。兄弟それぞれ職業を持っていましたし、継ぐ人はいなかったのです。
私はずっとお店を手伝っていましたが、自分が継ぐとは、そのときまで思ってもいませんでした。ただ父が辞めると言ったとき、そんな簡単に辞められるものじゃないでしょうと一人反対し、後を継ぎますと手を挙げました。家族は皆、そんな大変な仕事をあなたが一人でやりくりできないよ、と大反対しました。先代は和菓子を作り、さらに材料の仕入れから営業まで全てをこなしていました。私は当時、店番くらいでしたからね。
その年、王子一丁目のお店は閉めまして、王子二丁目の現在の場所に私が社長ということで始めました。
父はレストランなど、いろいろやって成功したので、そのまま続けたかったのでしょう。でも私はせっかくやるのなら、和菓子の専門店にしたかった。あれもこれもという多角経営よりは、一本に絞ったほうが生き残れるのではないかと思いました。確かにレストランの利益率はいいです。お菓子を一つずつ作るよりも、注文されたらたくさん作って短時間でできるわけです。和菓子もたしかに機械で作れますけれど、当店はひとつひとつ手作りの味を残したいと思っています。なるべく添加物も使いたくないので、消費期限も短めです。素材の風味を大事にしたいと思っています。それが当店のこだわりです。

――小さい頃から和菓子は好きでしたか。
社長 実は小さい頃、和菓子はあまり好きではなかったのです。生まれたときからお餅と餡に囲まれて育って、自分のまわりが甘いものだらけでしたから。でも試食はしましたよ。できたての温かいお餅を食べるのですが、ものすごくおいしい。どら焼きも焼きたてです。子どもの頃は餡もあまり好きではなかったので、バターをつけて頂きました。高級なホットケーキという感じです。これもおいしい。できたての味、おいしいという味覚は今でも確かに残っています。カステラなどは1日経ったほうがおいしいと言いますが、焼きたてのほうが私にはおいしいと思います。

――社長が岡安堂を残したいと思ったのは、和菓子がお好きだからかと。
社長 和菓子はもちろん好きですが、日本の文化や伝統のあらわれが和菓子だと考えています。それから岡安堂という暖簾を守りたいという気持ちですね。父の代から岡安堂の和菓子はおいしいと言っていただいていましたので。
昔の和菓子は甘ければ良かった。作ったら作っただけ売れました。柏餅も5月4日の夜中から何千個と、ずっと作り続けるのです。総動員で作るのですが、大変でした。私の子どもの頃は沢山数が売れたのですよね。節句やお祝いの行事があると店の前に列ができるくらいでした。
それと和菓子のよいところは季節感を味わえるということです。日本の行事にあわせて作っていくわけで、例えば9月だとお月見がありますから、昔はお月見団子をお供えしました。今はそういう時代ではないのでしょうか。お団子を盆に盛って店先に置くと、これはなに? という感じで皆さんが見ていきます。それぐらい日本の伝統行事に対する関心が薄れてきているのかもしれません。とても寂しいことです。

――和菓子職人が少なくなってきているようですね。
社長 洋菓子は分量さえ間違えなければできるかもしれませんが、和菓子はそうはいきません。素材がシンプルなので、季節や天気によっての加減、塩梅(あんばい)が難しい。当店は餡から手作りしています。菓子の種類に応じて餡の甘さも微妙に変えています。機械で製造したり、製餡所から仕入れた餡だと全体的に同じ味になってしまいます。量販された和菓子とは区別したいのです。
現在、当店の和菓子職人は1名です。なかなか後継者が育ちません。何しろ重労働ですから。私が子どもの頃に父から聞いたのは「餡子とりに8年」という言葉。餡を練り上げて8年は修行を続けないとその店の味を出せるようにならない、一人前ではないという意味です。
うちの和菓子職人は中学を出てすぐに和菓子の修行を始めて、幾つもの店で修業してから来たので、一人で何でもできます。だからカステラも焼けるし、洋菓子、ケーキだってできますよ。あの年代(70代前後)の人はできるのです。その年代から下の、私ぐらいの歳になると分業的なことでないとできないので、とても貴重な存在だと思います。
製菓学校卒の方でも教科書通りにはできるけれども、季節になぞらえて作るのが難しい。いざ作るとなるとそういうことは時間をかけて修業するしかない。和菓子作りの技を伝承する時間が、刻々と無くなってきているのだと思います。

――平成21年度「北区未来を拓くものづくり表彰 地域貢献の部門」を受賞されましたね。その経緯を教えてください。
社長 自分が社長になってから王子に長年お店を構えていることですし、何か地域に貢献することはできないかと考えました。
職業体験の一環として、和菓子職人と一緒に王子小学校で生徒がどら焼きを作ります。今回で4回目になります。小学4年生に実際に熱した鉄板の上に生地を流して焼いてもらいます。私たちも側に付いて見ていますが、皆上手にやっていますよ。
和菓子が嫌いだというお子さんもいます。どうしても餡を食べられない子のためにマーガリンを用意しておきます。けれどほかの子が、自分で焼いたどら焼きを手に持って餡を乗せ放題に乗せる様子を見ていると、嫌いな子も餡を乗せて食べてみたくなるようです。食べてみるとおいしいって言うのですよ。きっと自分で焼いて餡を乗せて食べるということに感動するのですね。どら焼きの準備をする間に、私が季節のお菓子を説明します。1年を通してこんなお菓子がありますとか、お菓子の歴史を話します。子ども達にとって、今まで全く知らなかった世界のことを、実際に菓子を作る人から直に聞くので心に残るようですね。
どら焼きづくりを通して、子どもの頃実際に作ったな、おいしかったなという記憶や、和菓子に対しての思い入れが大人になってもどこかに残ってもらえてたらいいなあと思います。
そのほかにも、中学生のアルバイト体験や障がい者の方を3人、1年ずつですが、受け入れていたこともあり、北区の社会貢献として評価を頂きました。

――地元の王子稲荷にちなんだ銘菓を作られ、商品開発に工夫をされてますが、なかでも苦心したことはありますか?
社長 お客様に商品の名前を覚えてもらうことにまず苦労しました。当店の看板商品で、王子稲荷神社にちなんで作った「狐のしっぽ」もやっとみなさんに覚えていただきましたが、最初の頃は「しっぽ」は覚えてくださるけれど、その上が狸とかネズミとか、いろんな動物がくっつきました。
新しい商品を作るときは、和菓子職人と相談しながらです。出来上がるまでに大変な思いをして、ずいぶん日数がかかります。餡の種類や商品の形をどうするか、名付けまで、本当に試行錯誤の連続です。包装袋の表紙絵は日本画を習いながら自分で何枚も描きました。(先頭の写真の鶴の絵は岡安社長が描かれた絵です。商品のパッケージにもなっています。)

――岡安堂のこれからについて聞かせてください。
社長 日本の伝統行事や文化を和菓子を通して伝えていけたらいいなと思いますね。小学校の職業体験でも、子供たちに季節ごとにいろんな和菓子が並んでいるから、お店に寄って見に来てねと言っています。
社長になってから約25年間、2日と休まず店を開け続けています。先日、何十年ぶりに風邪をこじらせて臨時休業をしましたら、次の日にお客様が「岡安堂さん、どうしたの?」と心配して来てくれました。そのお気遣いがとても有難いと思います。
お店の隣に大きな病院もありますし、病院帰りのお客様は当店でお茶を一杯、休憩して帰宅される方も多いです。そんな憩いの場を提供できればと思います。
この春先に「アド街ック天国」や「ちい散歩」に取り上げられたのも、永く王子でやってきたことの証のようでとても嬉しい事でした。
先代が大きくした岡安堂を王子に残したいという気持ちから、半分は父からのおまけみたいに始めましたのに、来年には創業100年を迎え、気づけば岡安堂は私の生きがいになっています。もし私がお嫁さんとして岡安堂で働いていたら逃げ出していたかもしれません。やはり自分のお店だから毎日頑張れるのでしょうね。
これからも一人でも多くのお客様に、確かな手作りの和菓子の味を味わっていただきたいという気持ちで日々お店を開けていきたいと思います。

――本日はありがとうございました。
(文責 神谷菜穂)