05 現代写真研究所
運営委員長 尾辻 弥寿雄 様
個々の視点を探求し、
写真文化を次世代へ

東京・四谷三丁目に位置する写真学校、現代写真研究所。運営委員長の尾辻 弥寿雄さんは、昭和49(1974)年から参加し、講師もつとめられています。デジタルカメラやスマートフォンの出現と浸透によって、設立当時とは写真のあり方は変わりましたが「 写真もあなたの言葉です」というモットーは変わりません。研究所の特徴や、現在抱える問題まで、尾辻さんにお話を伺いました。

アマとプロの境界をなくすこと

現代写真研究所は、昭和38(1963)年に土門 拳、田村 茂、田中 雅夫、伊藤 知巳をはじめ、第一線のカメラマンや批評家などが集まり、ドキュメンタリーを追求する「日本リアリズム写真集団」が母体の付属写真学校として昭和49(1974)年にスタートしました。私も当初から参加しています。

当時の写真の主流は、美しいばかりの「サロン調」といわれるものでした。そんな潮流へのアンチテーゼと時代を記録するという視点を打ち出し、「カメラを持って撮影する人はプロもアマチュアも関係なく、すべてが表現者だ」というメッセージをたずさえ活動してきました。

日本リアリズム写真集団設立当時の目的を達成するために、技術とともに写真文化の発展を目指していこうという思いが発端となっています。

私は当時、30代に突入したばかりの頃。通信社の写真部に所属するカメラマンとして日々報道現場での撮影に追われ、それだけでは何か足りないという焦燥感が常にありました。会社員カメラマンとしての写真とはに、自分の作品と呼べるものを撮っていきたかった。私自身の思いと重なっている部分もあり、講師として参加しつつ、今日まで作品を発表し続けてきました。

現代写真研究所

合評することで見つかる、自分の「視点」

私が講師を担当するのは当研究所のメインともいうべき写真総合科です。月に2回、1年間で写真撮影の基礎をトータルに学んでいきます。カリキュラムは当然ありますが、それにただ沿っていくだけではありません。おのおのが撮影した作品を持ち寄って討議しあう「合評」などを行っていると、とても講義内の時間では収まらず、近くのお店でお酒を酌み交わしながら「2コマ目」を自主的に実施することも多くあります。

私たち現代写真研究所のユニークなポイントは、ただ漫然と撮影するのではなく、写真のテーマ性、その人ならではの「視点」があるかどうかを重要視していることです。「写真もあなたの言葉です」という私たちのモットーは、そんなところを表現しています。

写真は学ぶものではなくなったのか
写真を取り巻く環境の変化

写真を取り巻く環境は大きく変わりました。携帯電話にカメラ機能が付き、それが発展してスマートフォンが出現。カメラ機能が格段の進歩をとげ、爆発的に普及したのをきっかけに、「写真を学ぼう」という入学希望者が減ったと、私たちは実感しています。

また、現代写真研究所では、平日の夜間に多くのゼミを開講していましたが、その時間に間に合うような労働環境にない、という若い人の声を多く聞くようになりました。スマートフォンで感覚的に撮影できるので、写真は学ぶものではないと考える人が増えたということ、若い人たちの労働環境の変化に、危機感を覚えています。

しかし、機材のデジタル化によって写真にふれる層が飛躍的に拡大していることも事実です。

現代写真研究所 運営委員長 尾辻

「写真も言葉」であること、
写真文化を未来へ伝えていくために

スマートフォンの普及とカメラ機能の進化を境に、入学者の減少という問題が続いています。現代写真研究所ではフィルムカメラや、暗室にこもっての現像作業の実習などもありますが、フィルムや暗室の存在を知らない人も増え、写真文化の衰退を感じずにはいられません。入学希望者を増やすためには、まずカメラに触れてみたいという、興味を持ってもらうための発信が必要となっているのです。

幸い、定年後に写真を始めたいというシニアの学生が増えています。しかし文化の継承のためには、若い人たちに写真の面白さを知ってもらう努力をしたいと思います。年齢に関係なく、一緒に学ぶことは楽しいものです。そして自分自身の表現をここで発見してもらえたらいいですね。

最近では少なくなっている、フィルム写真を印画紙に焼くための暗室設備。
最近では少なくなっている、フィルム写真を印画紙に焼くための暗室設備。
講師の方の作品とデジタル写真のための PC機材の前で語る尾辻さん。
講師の方の作品とデジタル写真のための PC機材の前で語る尾辻さん。
現代写真研究所を卒業された方や在籍生が自費出版した写真集。
現代写真研究所を卒業された方や在籍生が自費出版した写真集。