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会社訪問
インタビュー有限会社 ウチダ
代表取締役 内田 正美 様
事業を守る覚悟と
未来を模索する夢を
持ち続けて
有限会社ウチダは、埼玉県蓮田市にて、アルミダイカスト製品の加工仕上げを行う会社。創業者の父・政雄さんが鉄工所としてスタートした会社でしたが、内田社長が入社する直前にアルミダイカストへと大胆に業種を変え、現在に至っています。2代目社長として会社を守る覚悟と、未来への夢をお聞きしました。
建築業から製造業へ
大胆な方向転換をしたわが社
有限会社ウチダは、アルミダイカスト製造の会社です。たとえばトラックのエンジン部品や、乗用車に取り付けるドライブレコーダーの部品、携帯電話の基地局に使用するものなど、皆さんの生活の中に必ずアルミダイカスト製品はあります。
父が創業したときは「内田鉄工所」という鉄骨屋さんで、幼い頃から自分も父の跡を継ぎ、建築業に就くものだとばかり思っていました。高校の建築科を卒業し、知り合いの鉄工所で修行していたとき、父がダイカスト製造業へ転業すると言い出しました。父の決めたことに従い、この仕事を始めて40年になります。
父を見送り2代目社長として奮闘した日々
創業者であった父の跡を継いだ2代目社長として、父が存命中に事業承継しました。父は会長へと退き、仕事にはほぼノータッチ。私を信頼して任せてくれたのがありがたかったです。でもたまに会社へ顔を見せると、雰囲気がガラッと変わるのがわかるんです。ダレていた気分がピリッとするというか、スタッフの顔つきまで変わる。私にはない、大きな影響力を持った人でしたね。
私は父とは異なるタイプで、カリスマ社長ではありません。でもスタッフを思う気持ちでは負けません。製造業はスタッフの確保がすべてですから、社長就任後は、まず会社の体制づくりを手掛けることに。第一経理さんの力もお借りして、就業規則なども整え、長く働いてくれるスタッフのためにも、きちんとした体制をつくりました。
私が事業承継してから約10年後、父は他界しました。その直後にはリーマンショックがあり、厳しい船出だったことを覚えています。そのころから、日本の製造業が海外へ進出することが当たり前の時代に突入していきましたが、会社の体力を冷静に考えたとき、従来通りここで頑張っていく、と決心しました。
お客様のニーズに応えていくため、設備投資も行ってきました。求められる高い仕上げ加工、厳しい検品に耐える高品質の製品を安定的に供給するためには、精度の高い工作機械が必要なんです。必要な設備投資をして、丁寧な仕上げで、ニーズに応え続けていくことが、この仕事の醍醐味だと考えています。
現場を支えてくれる
外国人スタッフの頑張りに報いたい
ご存じの通り、製造業の人手不足は深刻で、今や外国人労働者抜きには、仕事は回りません。弊社は外国人労働者、特にフィリピンの方に多く働いてもらっているのが特徴です。フィリピン人の国民性でしょうか、とても明るくて、前向きで、弊社のカラーと合っているようです。長く働いてくれている人もいて、後から来日した後輩の面倒もよく見てくれるのもうれしいですね。日本の若い人はどうしても製造業を避けてしまいますが、日本のものづくりのためには必要な仕事。労働環境を整えたことは、一生懸命仕事を覚え、長く働いてくれるフィリピン人スタッフのためにも、本当にやってよかったことだと思っています。
製造業の未来を次世代に託すまで
父は私が幼いころから、私が会社を継ぐことをとても期待していました。「僕がお父さんの跡を継ぐよ」と言うと、機嫌が悪いのも直ってしまうほど。本心では野球選手になりたかったのですが、父の喜ぶ顔が見たくて、よくそんなことを言っていました。私には二男二女の子どもがおりますが、自由に生きていってくれたらそれでよいと考えています。ところが最近、大学生の次男が会社を継ぐと言ってくれるようになりました。亡き父も3代目に向いているのは次男かも、と冗談のように言っていましたから、幼いころからその片鱗を見せていたのかもしれません。とはいえまだ大学生。本当のところはまだわかりませんが、確かに「親父の跡を継ぐ」と言ってもらえるのは、うれしいことですね。亡き父の気持ちが少しわかったような気がしました。
本当に継いでくれるかどうかは別として、それまでにどこか工業団地に入り、きれいな社屋を構えてみたいという夢を持っています。
厳しい経営環境ではあります。安さを求めて海外へ進出する企業も多いですが、日本製の品質の高さは特筆すべきものがあると、現場にいて実感しています。日本のものづくりを支えている、製造業の未来を3代目に託せるまでの道のりを、粘り強く耕していこうと思っています。